中朝事実 ねずみさんから引用 | シンデレラダイエットのよっちゃん オフィシャルブログ
そして47歳になった山鹿素行は、有名な「中朝事実(ちゅうちょうじじつ)」を著します。

でね、でねっ!、この「中朝事実」を確信したとき、山鹿素行は、

「五十年の夢、いっときに覚(さ)め申し候」と述べている。

50年生きてきて、それまで騙されていたことが、いっぺんに晴れて、目が覚めた!というのです。
なんかそれって、いままでずっと左翼や反日の偏向教育に騙され続けてきた日本人が、あるとき真実を知って、忽然と保守に目覚める! その瞬間にちょっと似ている気がします。

では、山鹿素行が、どういう夢から覚めたのかというと、これがなんと、

「孔子の教えをありがたいが、省みれば、そのありがたい教えをもともと実現しているのは、なんのことはない、それは支那ではなくて、日本だった!」というものです。

現実の支那は、歴代皇帝が殺し合い、奪い合い、官僚が威張り、民は搾取され、人心は離散し、荒れ果てている。
それに対し、日本は孔子の現れるはるか以前から、まさに孔子の教えそのものを実施し、陛下は万世一系である。人々は道義を重んじ、治安も保たれ、勤勉である。

そもそも史書によれば、国家というものは、天地の至誠、すなわち宇宙の真理に合致した道義が貫徹される国であることをもって理想としている。

すなわち万世一系の皇尊(すめらみこと)のもとに人民が至誠を尽くして生きる道義国家こそ、理想国家といえる。

・・・天地の至誠、天地の天地たるゆゑにして、生々無息造物者の無尽蔵、悠久にして無彊の道也。聖人これに法りて天下万世の皇極を立て、人民をして是れによらしむるゆゑん也・・・

してみれば虐殺非道大国支那は「中華」などでは決してなく、日本こそ「中つ朝」、すなわち「中華」である、と説いたのです。

さらに、日本書紀を見れば、日本は「葦原中國(あしはらのなかつくに)」と書いてある。つまり、日本=中国である。実は日本は古くから、日本のことを中国と呼んでいた。

そして、中国や朝鮮では易姓革命が度々起こり、乱臣による弑逆も度々起こったけれど、日本の皇統は神代以来一度も変わることなく万世一系であると指摘します。

皇祖、天照大神(あまてらすおおみかみ)が、この国を統治しようとされたときの御心を考えれば、天地の恵みというのは「至誠」そのものである。

すなわち君子もまた至誠そのものであり、自ら戒め、徳に向って進む。
人民もまた、自ら戒め、徳に向って生きる。
このときこそ、万民すべて安らかで、天下万国すべてが平穏で無事な状態になる。

そして山鹿素行は、「これこそが“天壌無窮”の神勅の意味である」と説いた。

さらに素行は、「謹みて按ずるに、五行に金あり、七情に怒あり、陰陽相対し、好悪相並ぶ。是れ乃ち武の用また大ならずや。然れどもこれを用ふるにその道を以てせざるときは、則ち害人物に及びて而して終に自ら焼く」と続けます。

すなわち、金儲けにふけり贅沢をすることや、怒りや好悪の情というものは、現実に存在する。これらをこれらを諌(いさ)めるには、武を用いる必要が大である。
そして武は、常に「天壌無窮の神勅」によって用いることで、世を浄化し人道を実現する。(「中朝事実」)

そして武を用いる者、すなわち武士は、みずから進んで人倫の道を歩み、人倫をみだらせるヤカラがいたら、速(すぐ)に罰して、天下に人倫の正しきを保つ。
だから、武士は、文武之徳治不備があってはならず、生涯を通じて身を律して生きなければならない、とした。

そして武士は、

その容貌より言動に至るまで、
 かるがるしからず。
おごそかにして、
 人々が畏(おそ)るべき者

であれ、とした。(山鹿語録)

いやはや、なんだか肩が凝りそうですが、ようするに日本は素晴らしい国なのだから、武士は率先して立派に生きよ。

そして武士が立派に生きて威があるならば、自然と民もしっかりし、世は人道が実現され、国も立派になる。古来、日本はそういうことを実現してきたのだ、というのが山鹿素行の説であるということができます。

山鹿素行の遺志は、赤穂浪士の大石内蔵助の行動と生きざまに強い影響を与え、吉良邸討入の後には、山鹿流軍学は、「実戦的な軍学」として江戸中期以降の人気を博した。

そして吉田松陰は、5歳の時に、長州藩山鹿流兵学師範吉田大介の養子となり、11歳で藩公(藩主)の前で素行の兵学をよどみなく講義した。

そして松陰から山鹿素行を学んだのが、高杉晋作であり、桂小五郎であり、久坂玄瑞、伊藤博文です。


この吉田松陰が、安政の大獄で収監される前に、友人北山安世あてに書いた手紙にあるのが「草莽崛起」で、

「今の幕府も諸侯も最早酔人なれば扶持の術なし。
 草莽崛起の人を望む外頼なし。
 されど本藩の恩と天朝の徳とは如何にして忘
 るゝに方なし。
 草莽崛起の力を以て、近くは本藩を維持し、
 遠くは天朝の中興を補佐し奉れば、
 匹夫の諒に負くが如くなれど、
 神州の大功ある人と云ふべし」

という文章に、その言葉「草莽崛起」が出てくる。

そして「草莽崛起」は、いまやチャンネル桜の水島さんなどが、真正保守の旗印として使っている言葉でもあります。

そして乃木希典大将は、この山鹿素行の「中朝事実」を愛読し、写本しては人に与えたといいます。

そして乃木は、殉死の2日前に、当時の皇太子殿下(後の昭和天皇)と淳宮、光宮の3人の前で、この「中朝事実」を涙ながらに講義した。

江戸武士道、明治以降の武士道、軍人の道等は、もとをたどると、その精神は山鹿素行にたどり着くようです。

山鹿素行の説いた日本的道義思想は、戦後のGHQによって炎書の憂き目にあっているけれど、いまなお、その価値を失っていないし、それどころか、これからの日本、これからの世界を考える上で、いまこそその思想が求められる時代になってきているといえるかもしれません。