高齢者の車事故についての寸観 28.11.17 | 棟上寅七の古代史本批評

高齢者の車事故についての寸観 28.11.17

●今日もよいゴルフ日よりでした。夜なかの錦織対マレー戦の観戦での寝不足気味でのプレーでしたが、全く気にならず、ボールが飛び過ぎて、普段なら届かないバンカーまで届き同伴競技者を驚かせたりもしました。。

7組の大学同窓OB会で寅七が最年長でしたが、何とかシニアティ使用のおかげもあって、3位賞や二ヤピン賞2個・ドラコン賞など沢山いただけ、帰りにスーパーによって冷凍餃子を手土産に帰ることが出来ました。

 

●このところ高齢者が加害者となる車事故が連日報じられています。モミジマークを付けて走った方が良いのかどうか、わかりませんが、付けておくに越したことはないかなあ、と百均で見かけたので買ってきました。付けたからといって速度制限オーバーのお目こぼしはないでしょうけれど。

もう、クラッチ付きの車に乗る機会は、普通人にはないと思いますし、最初から、ゴーカート方式で、右足アクセル、左足ブレーキと覚え込ませる運転講習をさせたらよいのではないか、と思います。アクセルとブレーキの踏み間違えは、まず起らないことでしょう。

寅七はこの方式でもう50年近く乗っていますが、踏み間違えはまだありません。(今後もないことを願っています)

 

●「タリシヒコの謎」で昔からの識者の見解を見て行っているのですが、そこで気づくのは、邪馬台国問題の基本がまだ定まっていないことに密接につながっていることです。

特に、邪馬臺(台)国はヤマトと読める、邪馬台国はヤマト国だという説がおおかたの人にこびりついていることです。

『後漢書』の「邪馬臺国」が、日本列島の人々にどう読めるかということが問題ではなく、3世紀の中国人が「臺」をどう読んでいたか、ということが問題なのです。

そのところを抜きで、万葉仮名ではどうだとか、『日本書紀』ではどうだ、9世紀の『続日本後記』には「臺をトと読んだ例がある」などの意見を述べ、「臺はトと読める」と力説する歴史研究家もいます。

そのようなことではなく、『後漢書』が著作されたころ、「臺がトに近い音であった」ということを証明して初めて「邪馬台国=ヤマト国説が仮説として成り立つと思います。

この肝心の問題を古代史の会などでも、もう一度論議してみてもよいのではないのかなあ、と思っています。。