一応発表原稿は出来上がりましたが | 棟上寅七の古代史本批評

一応発表原稿は出来上がりましたが

築地市場の豊洲移転問題でこのところTVは大賑あいのようです。用地選定時の誤りをいまさら言っても仕方ないことでしょうが、「環境問題」の軽視が当事者にあったが根本原因でしょう。

1970年のころ、アメリカ人から、アースデイについての日本の認識について聞かれ、なんのことやらわからなかったことを思い出しました。

 

その5年後、北九州の工業用地を宅地に転用する計画が持ち上がり、その工事担当をさせられました。

その造成用地の廃棄物処理方法で、デベロッパー営業関係者と意見が衝突しましたが、土地情報を隠さず、購入者に基礎構造に注文を付けさせたことを思い出しました。

よくも、若造の意見を取り入れてくれた、と感謝しています。

 

●来月初めの「タリシヒコ考」の第一回分の発表原稿は出来上がりました。何しろ一年前の素稿ですので、改めて読んで、気になったところを再チェックしたり、で結構時間がかかります。

 

例えば、本居宣長が「日出ずる処の天子云々」の国書を、「聖徳太子が出した(はずの)と書いている」と書いていたのですが、気になってチェックしたら、全体のトーンからはそんな感じは確かにするのですが、文章では何もそう書いているところはありません。

 

●そのような個所をつぶしていくのと、ただおしゃべりだけで2時間近く古代史を語るのは、しゃべる方はともかく、聞く方も大変だろう、と思います。

間に雑談というか余談的な話も入れようか、などと思うとなかなかキリが着きません。

 

●発表の後、兄も見に?行く、と言っていますし、ビールを飲めるところも段取りしておかねば、とこの方の準備は苦になりません。