はじめに
今回は前回の記事の続きです。
こちらにリンクを貼っておくので、以下のリンク先の記事から読んでいただけると幸いです。
今回の記事は小学校4年生から6年生までの時代を描きます。
虐めが始まったのは、小学校4年生のときからでした。
小学校4年生
小学校の4年生に進級しました。
最初は、3年生からの持ちあがりの同級生たちと、そこそこうまくやっていたつもりです。
ところが・・・
何かをきっかけにです。
その「何か」を忘れてしまったのですが・・・
ある日、同級生たち2人と休憩時間中に話をしていました。
すると、私からみて右斜め後ろに座っていた同級生が、急に私の右肩を小突いたのです。
「なぜ、小突かれたのか?」
それが思い出せないのですが、なぜかその小突かれた事実だけはハッキリと覚えているのです。うっすらぼんやりと記憶にあるのは、たしか同級生から尋ねられたことに対して、私が明確な回答を示さなかったからではないかと、今となっては思うのです。
今思えば、その時から不穏な空気が漂うようになりました。
この時点から、私への陰湿な虐めは始まったのです。
虐めの始まり
私が記憶に残っている虐めは、以下のとおりです。
⑴挨拶や話しかけをしても、無視する。
⑵廊下から教室へ入り、自分の席へ座ろうとすると「お前、ムカつくんだよ!!」と急に胸ぐらを掴まれ、おなかにパンチを喰らう。
⑶人がやっと一人は入れるか入れないかくらいの「掃除用具入れ」の中に、5人~6人くらいの集団に無理矢理押し込まれ、閉じ込められる。そして、私が入っている掃除用具入れを何度も蹴り上げる。
⑷自分の机の中の教科書やノートが、私が気付かぬ前に荒らされていた。
思い出せる限りでは、こんなところです。
きっと今でも似たような虐めが横行しているのでしょう。
否、今はインターネットが普及している分、虐めの在り方もさらに陰湿になっているのかもしれませんね。
そして肝心なことは、なぜ自分がこのような目に遭うのか、全く理解ができなかったことです。前にどこかの記事でも書きましたが、虐められた側の人間というのは「自分を必死で守ろうとする」ので、他のことに構ってられないのです。
なので、自分がなぜ虐められるのか、そこまで分析している余裕がなかったのです。
そして極めつけは、担任の女性教諭が全く力になってくれなかったことです。
今にして思えば、たしかに教諭としての仕事量や日教組の教諭たちに対する影響力などを考えると、いろいろと仕事がやりづらかった面があったのかもしれません。ただ、当時の生徒の立場から言わせてもらえれば、間違いなく担任の教諭は「無能」でした。
私を虐めていた生徒たちの主犯格の生徒は、担任教諭のことを確実に馬鹿にしており、見下していました。教諭が彼に何かしらの注意をしても「うるせぇ!ババアは黙ってろよ!」という暴言が出るくらいに。
小学校5年生
そんな1年を何とかやり過ごし、5年生に進級しました。
5年生になると、虐めにも、もうひと手間加わるようになりました。
⑸10人くらいの同級生に、床に倒され、そこで押さえつけられたまま、私の上に次々に同級生が覆いかぶさっていき、息ができなくなりそうになる。
私が、そのときにあまりにも大きい悲鳴を上げるので、隣の教室の担任が怒鳴り込んできたくらいです。
私は、発達障害の特性もあってか、自分がここまで虐められることに全く心当たりがなく、ボケ~ッとして生きてきました。
ただ、ここまでくると、私自身も休憩時間になると、教室内にいることに恐怖感を覚えるようになりました。50分の授業が終わり、その後に10分の休憩、そして次の時限へ。
その10分の間、私はすぐに小学校の1階の廊下前で時間が過ぎるのを待つようにしていました。1階には何があったのでしょうか?
・・・職員室です。
職員室の中に入室すると「用もないのに勝手に入ってくるな」と教諭たちに叱られたので、職員室のドアの目の前にいて、10分間を耐えしのいでいました。職員室の前であれば、いくら無能な教諭でも何かしら助けてくれるという望みを持っていたからです。
小学校6年生
ここも何とか1年間を耐え抜き、6年生に進級できました。
6年生に進級し、最後のダメ押しで虐めがひとつ加わりました。
⑹女子生徒全員から気持ち悪がられ、話をしようとしたり、用事があって少し距離をつめようとするだけで「離れてよ!気持ち悪い!」と、声を揃えて言われるようになる。
PTAの役員会などでも、虐めの件は話題に上ったそうです。
そして、虐めの壮絶さが私の母の耳に入る度に、私は母から烈火のごとく叱られました。
「なぜ、そういう虐めに遭っていることを直接話してくれないの!?他のお母さん方から話を聞くことになったじゃない!私がどれだけ恥をかいたか、アンタにわかるの!?それに、虐められているのなら、少しはやり返しなさいよ!」
・・・記事を書きながら思ったのですが、我ながら30年以上前に言われたことを、よくもこんなに詳細に覚えていたものだなぁと(笑)
結局、私の母はPTAの役員会の場で「自分が恥をかかされた」ということに対して怒りを感じ、それを当事者である私にぶつけてきた。それだけに過ぎないのです。
・・・自身の保身と世間体しか考えない母親です。
30年以上経った今でも、それは変わりません。
実の息子が虐められているのに、「息子の心配はしない」のです。
それどころか、「なぜ虐められたりするの!?」という叱責と追及のみ。
母親の思考回路
私は母本人ではないので、正確にはわかりません。
でも、大体は推測ができます。
まず、「自分の息子がそこまで壮絶に虐められていると知りたくなかった」。
↓
次に、「なぜ、私の息子が虐められないといけないの?」。
↓
次に、「虐める方に、もちろん原因はある。でも、息子にも原因があるのかもしれない」。
↓
次に、「うちの息子はしっかりしていないから、きっとそれが原因だろう」。
↓
次に、「なぜ、うちの息子はしっかりできないのだろう?・・・情けない」。
↓
次に、「そもそも、なぜやり返さないの!?」
・・・大体、こんなところだと思います。
同じDNAを受け継いでいるので、思考回路も似たようなものになると思います。
私には子供はおりませんが、同じようなシチュエーションに遭遇したとき、きっと同じ思考パターンに陥ることでしょう。
遺伝は怖いですね・・・
こうやって、地獄の小学校生活を何とか・・・文字通り「死に物狂い」で生き抜きました。
最後に
今回の記事は以上です。
虐めが小学校までで終わればよかったのですが、なかなかそうもいきませんでした。
次回は、中学校時代の内容を記事にしたいと思います。
最後までお読みいただき、ありがとうございました!!
torao596














