はじめに
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上記の記事の続きです。
勘違いばかりだった高校時代を終え、浪人生活に突入しました。
その後、無事大学へ入学し、大学生活を送ることになりました。
ここでも、母親と一悶着あったのです。
それを中心に、記事としてお伝えします。
入部したサークルについて
資格試験の合格を目指すサークルに入部したのですが・・・
元々、私の在籍していた大学では100年以上前から存在する伝統的なサークルがあり、資格試験を目指す学生は、大抵の学生はそこのサークルに入部していたそうです。
そこのサークルは、とにかく部員数が多く、OBやOGを多く輩出しているサークルでした。従って、そこのサークルでうまいこと立ち回っていた学生は、OBたちのツテなどで大企業に就職したり、また勉強の仕方を教えてもらっていた学生の中には司法試験などの資格試験に合格していた学生も何人かいました。
しかし・・・
私は、そういうサークルには興味が湧きませんでした。
否、そういう大所帯の集団に属することが苦手になっていたのです。
こじんまりとした所帯で、私のことを好意的に受けて止めてくれる先輩や同級生だけがいるサークルへの入部を強く希望していました。
そして、まさに私自身が希望していたとおりのサークルが見つかり、そこに入部することを決めました。
ただ、そのことを母親に話すと、喜ぶどころか文句を言ってきたのです。
「なんで、そんな小さいサークルに入っちゃったの?アンタの大学は規模が大きいから、もっと他にもサークルっていうのはあるんでしょう?昔からある大きな規模のサークルに入った方が良かったんじゃないの?アンタ、高校の時は友達が多くてコミュニケーションには長けていたじゃないの・・・」
・・・質問攻めです。嫌気が差しました。
私のことを理解していない証拠でした。父親が、とにかく組織というものを重んじる人間で、大きな組織の中にいてこそ価値があるという価値観の持ち主で、母親はその価値観に大きく影響を受けていました。
大きな規模の、しかも伝統と実績のあるサークルが存在するのなら、そこに入部するのが当然であって、敢えて小さな規模で結成したばかりのサークルに入部することの神経が理解できない!!
母親の顔に、そう書いてありました。
・・・もう無視するようにしました。
高校時代の幻影から現実の発達障害へ
高校時代の私は、ひとえに本音と建前を理解できていない裸の王様状態だったのです。その中で、たしかに表面的にはコミュニケーションに長けているように見えたのかもしれません。
しかし、浪人生活を経て、勉強以外の世界から敢えて自分を遮断していたこともあり、人とのコミュニケーションに自信が持てなくなっていたのかもしれません。
発達障害の特性をもつ本来の私が、目覚め始めていたのかもしれません。
元来、多くの人数を相手に自発的かつ積極的なコミュニケーションを図ることは得意でもあり、同時に苦手でもありました。
私とのコミュニケーションを好意的に捉えてくれる人との会話などは難なくできましたが、少しでも私とのコミュニケーションに否定的な捉え方をする人との会話などは非常に苦手とするところでした。
ですので、大学時代に付き合った友人の数も自ずと限られた人数となったのです。
非常に狭いコミュニティの中で、自分の居心地の良いように、友達付き合いをしていました。だから、この頃の友達付き合いがうまくいっていたのだと思います。
父親の身勝手な判断でアルバイトを退職
ある日、大学のサークルが発行している大学新聞なるものを手にしました。
これを持って帰れば、きっと家族と会話をする話のタネができると思い、持って帰りました。
ところが、これが逆にマズかったのです。
その大学新聞は、たしかに大学の名称を冠した「○○大学新聞」と書いてありました。しかし、その新聞を発行しているサークルが当時大学側と少々イザコザがあったようで、大学からは公認されていない「非公認サークル」だったのです。
そのサークルが発行している大学新聞の広告掲載欄として、当時私が始めたばかりのアルバイト先が広告を掲載していたのです。
それを見た瞬間に、何と父親が激怒し「こんな新聞に広告を掲載しているような会社でアルバイトなどしてはダメだ!今すぐ辞めなさい!」と言い放ったのです。
おまえは何様だよ・・・。
おまえのためにアルバイトしてるんじゃないんだけど。
・・・率直な感想でした。
あろうことか、母親も父親のトンチンカンな発言に乗っかり、2人してアルバイト先を退職するように要求してきたのです。
私は、アルバイト先に泣く泣く理由を丁寧に説明し、引き止められましたが、断腸の思いでキッパリ辞めました。ちなみに、そのバイト先は私が高校時代からお世話になっていた大学受験予備校で、大学受験から解放されたら絶対にアルバイトをしたいと切望していた会社だったのです。
【 この父にして、この母あり 】
言葉の使い方を間違えていると思いますが、何となく察していただければ幸いです。
最後に
今回の記事は以上です。
結局、狭いコミュニティ内での友人関係を継続し、大学4年の時に内定をいただいた会社に就職することになりました。
そして、ここからが本当の地獄の始まりでした。
発達障害の特性が牙をむき始めたのです。
今回の記事をもって、幼稚園時代から続いてきた学生編のシリーズを終えたいと思います。
企業への就職後の内容については、個別の記事で今後お伝えできればと思います。
最後までお読みいただき、ありがとうございました!!
torao596







