"「小説を読んでいて、こういう一文がありました。

『この夜を越えられないから死にたくなるんだ』って。

このニュアンスだと、

朝がくれば大丈夫みたいな感じでした。

朝が来たら、『また頑張れる』ってことだと思います。

だけど、私は違うんです。

朝が来てしまうから死にたくなるんです。

また生きなきゃいけなくなるから……



映画やドラマ、小説などは

「生きていたい」がある前提で

人の死生観は考えられています。


一般的な感覚では、

「生きていたいのに、うまくいかない」

から死にたくなると考えます。"




"虐待を受けてきた人は、

そもそも「生きたい」がない。


最初から存在の否定に曝されてきた彼ら彼女らは、生きていたいとも、生きたいとも思えない。"

 


 

"カウンセリングで話を聞くと、ああしたい、こうしたい、の自己主張がない。

あれ食べたい、これ食べたい、あれが欲しい、これも欲しい、もっと欲しいも ない。



ただ漫然と

我慢しながら生きることしか知らない。

こうして、疲れ切って、消えたくなって、

朝が来なければいいと思う。"


 


"「虐待してきた親など他人を変えることはできないけど、あなたは変わることができる」

このセリフを、私はよく耳にします。

クライエントさんから聞くのです。どう聞くのかというと、自殺予防の相談員やカウンセラーさんから言われたと。


これは、有名な精神科医の言葉らしいのです。おそらく研修でも、こう伝えるように習うのでしょう。



しかし、生育歴に虐待の背景を感ぜられる人にこれは適していないと私は思います。

なぜなら、変わることができるのだから死なずに頑張って生きていけ、というメッセージだからです。

余計な頑張りを課すことになってしまい、場合によっては追い詰めになるでしょう。"





「虐待してきた親など他人を変えることはできないけど、あなたは変わることができる」


まさにこの言葉に「追い詰められてきた」

人生だったように感じてしまう。


これまでに何度も

何人もの人からそのようなことを言われて


「生きたいと思えない自分は

やっぱりおかしいんだ」


「変わらないといけないんだ」


と思って頑張り続けて

自分を追い込み続けて


40年で心身共に限界がきて

倒れてしまった。



被虐者は「自分の存在はこの世に許されていない」「生きていてはならない」「けど死ぬことも許されないから、なんとか少しでも社会の迷惑にならないように24時間気を抜かずに頑張り続けるしかない」という感覚で生きている人が多いと思う。


(だから慢性的な過緊張と

それに伴う慢性的な不眠を抱えることになる)




多くの精神科医の先生も、カウンセラーさんも、数々の精神療法・心理療法も「幼少期の愛着は成立していて自我同一性が確立されている」ことが当然の前提として治療がなされる。

(愛着がないということが想定されていない)



だから治療の前提である愛着がそもそも成立していない被虐者には効果が得られない。


『被虐者の回復にはとても深いレベルでの受容体験が必要』



と精神科医の高橋和巳先生の著書に書かれていた。




本当にその通りだと思う。



被虐者の心理について、

そしてその回復の道筋について、

もっと理解が広まってほしいと心から願う。