約1年ぶりのブログ更新。色々あった1年だった。

【仕事】

 厳しい上司からは怒られ、呆れられ、無視され。残業ダメ、同じ仕事量こなせ、全ての患者さんの情報は頭で記憶と更新は頭の悪い私には出来ず、朝早く出勤してカルテをみて自分でメモをし病棟の申し送りに参加させてもらい情報上をとる等の努力はした。関係性は良くならなかったが、自分なりのやり方を見つけ出した。そんな頃自身の体調が悪くなりながらも急な穴をあけないよう調整しながら働いてた。そんな時にその上司が急に体調不良といって辞めた。最初は本当か疑ったがいなくなってホッとした。でもまた戻っと来るのではないか、私が休んでいる間に帰ってきていたらどうしようとの不安はある。

【体調】

 11月末頃、最初は喉の痛み。1週間後の12月上旬頃から声がれ、そのまた1週間後には咳や吐く日もあり体調が悪く近所の呼吸器科のクリニックの診察で風邪の後のCOPDかとの診断で吸入の薬をもらいかなり落ち着いた。その時CTを撮っていたが3週間後の再診で「ダメだよ」と言われ再度CT検査。近隣のメディカルスキャンと違う病院でCTを撮るため再診は1週間後に同様の肺に2cmの影があり大きな病院への診察をすすめられがんセンターへの紹介を依頼。その後はレントゲン、血液検査、尿検査、肺活量の検査、造影CT、気管支内視鏡、PET等予約を入れて2週間で肺腺癌stageⅠの診断。その1週間後には入院手術をして左肺の下葉の全摘+リンパ節郭清の手術。痛み止めも大量に使っても激痛で死にかけた。左肩や背中はバットで100回近く殴られたくらいの感じで動かす感覚もよく分からないけど腕や首を動かすと激痛だし、胸の中は心臓の周りをスコップでえぐって心臓は握りつぶされるような胸の痛み。術後3日間は体中に色んな管がつけられて十分に動けないのが地獄だったが起きれて歩けるようになった時はうれしかった。順調で6日目に退院し自宅療養。

【家族】

 癌かもという段階では親や弟に言えなかった。ただ心配するだけで役に立たないと分かっていたから。一番最初は友達に言ったと思う。病院の付き添いやら色々心配してくれて本当に助かった。しかしがん治療となれば友達には頼めないこともあると親戚の叔母と従妹に報告。確定診断の時まで付き添ってくれてよかった。恐らく癌ではないかと疑っていたので診断を受けてショックもなく、むしろ私も人間だったか、これでやっと人生の終わりがあることにホッとした。親には手術の決定となり報告した。入院では何があるか分からないし身元引受人やお金の保証人が必要だから仕方がない。父親は口先だけ。心配だとか言うのがうるさい。本人なりに一生懸命なのだろうけど食事も栄養考えてとか生活も衛生管理とかとんなことはできない。唯一助かったのはお金を出してもらえるという点だったかな。1人暮らしに戻りたかったが車も禁止、生活もままならないから実家で監禁のような生活を1か月半送り1人で動けると4月に1に暮らしに戻った。

【病気になって】

 今は傷病休暇中で給料はでないが休みをもらえて気持ち的にもゆっくり自分のことに目を向けた生活が出来ることに感謝している。ただ去年の夏頃だったかは仕事行って帰って寝ての繰り返しで体力は落ち、PMSかと思い薬ほしくて病院行ったら不安症といわれ薬を飲んでいた。その後に今回の風邪からの体調不良悪化により偶然肺がんが見つかって手術して実家で動かないから体力の低下が著しく生活リズムを整えようにも起きていられず廃人。食事もままならずお腹の調子も良くない。無理に仕事に戻れば体力もつくだろうけどまずは通勤すらできる気がしないからもう少し休ませてもらう。病気が分からなかったらもう少し早い寿命だったろうけど、今回の件でやはり家族を頼れない、自分の痛みによる弱さと根性のなさの実感したことで残りの人生をどうするか考え直す良いきっかけになった。

 時間があれば癌についてはブログの更新で情報提供しておこうと思う。30代肺がんの症例は少なく、しかもStegeⅠの初期の情報はなかなか見つからない。ただの愚痴ブログで内容はいつも支離滅裂だけど、何か参考になる内容となればいいな。