幼少期に作られた気質や感覚や考え方や行動は大人になっても残るっていう意味が三つ子の魂百までと思っているが、本当にそうなんだろうなと思ってしまう事が多い。そもそも幼少期の記憶がはっきりしてるわけでもないけど、文字や暗記等の記憶力は苦手な分私はエピソードや情景などの古い感覚や記憶がかなり残っている方だと思う。昔の話を父親や親戚にするとそんな事よく覚えてるね、そういう事あったと言うので。そして人は嫌な記憶の方が残りやすいから強く印象ついているのかな。母親の性格的に自由人で気分屋で派手好きな方。そこに病弱な子の育児で仕事を辞めて1人で息抜きする場もなく子育てがストレスだったのだという理解もある。でもふとした時に私はいらない、お金がかかる、何も期待してもないと何気なく言われた言葉が意外と出て来てしまい自分の存在を否定してしまう。そこから自分の存在をアピールしようとしてたのだろう。今だにできる事をやらないと、手を抜かない、やるなら最後までしっかりやらなくちゃという感情が出る。そして近所や親戚のおばさんに褒められたというのが嬉しかったのだろう、運動が出来る方でいたい、自然と陰で努力を続けるという自分の流れが出来てしまう。親の教育が間違っていたとも思わないし、むしろそれのお陰で優秀ではなくても自分のできる事はやる人任せにしない責任感のある人間でいられてると思うので、感謝もしてる。

1人で生きていくなら執着もないからそれで十分幸せを自分で作れてたと思うのだけども、誰かと一緒になる事を考えるとまた難しくなる。友達の旦那の従兄弟を紹介してもらい、友人達やそのご家族含め喜んで前向きに思ってくれて、付き合う事にはなった。この歳でそんな縁があるのもありがたいし断る理由もないし感謝しかない。でも私でいいのか、そもそも私でいられてるのか、自分をよく見せようと作ってないか等分からなくなる。気がきくし良い人だか、私も何かしなくては返さなきゃという感情がどうしても出て来て、せめて半分はお金出すとなるし。でも本当はこんなにお金がかかるなら食べなくていいやとか要らないかなとか思う事もあって。でも相手は食べる事好きなら合わせたいし、ケチらず使う人なのもありがたいと思う反面毎回これでいあのかなという不安もあったり。どちらの感情があって良いのだろうけど、こういう自分はこうしたい、これがいいかなという感情と相手はどう思うかなという感情を天秤にかけてしまうような、そして余計なことばかり考えてしまうとか自己否定も助長されてしまう事もある。深くは気にしても仕方ない、ちゃんと意思を伝え合う事も必要だし自分の成長にはなるので、今の状況から逃げ出す理由もないけど、いつか自分が限界と思ってしまわないか。不安はありつつも残りの人生も楽しめる方へすすめたらと思う。