退院してから数日間
副作用は変わらず酷いままでしたが
症状は少し落ち着いていました。
私は友達とすぐに連絡をとり
よく飲みに出かけるようになりました。
居酒屋に入るやいなや
話す内容は私の病気の話。
それでも友達は心配してくれて
無事に退院出来てよかったねと
そう言ってくれました。
こうやって会ってくれる友達がいるだけでも
幸せな事だな。
そう思うようにもなれました。
そしてだんだん酔っ払ってきて
楽しくなってくると
私たちはそのまま歌舞伎町のホストクラブへ
行こうという話になりました。
当時は1時間飲み放題が無料で入れるお店も多く
最初は『ただ酒が飲める』という目的で
遊びに行っていました。
色んなお店を何件もハシゴして
気づけば終電はなく
朝までバーやサパーなどにも
遊びに行くようになっていました。
私はこの遊び方が好きになり
ほぼ毎日のように歌舞伎町へ飲みに出かけ
その度に記憶をなくし、
自分がわけがわからなくなるまで
飲む事が当たり前になっていました。
『私なりの現実逃避。』
そう思うとすごく楽になれたんです。
最初はホストクラブで指名してまで
遊びたいなんて思っていなかったのに
友達が指名しているのを見ると
なんだかそれがかっこいいとも思え
自分も指名して飲むようになりました。
無料で飲んで楽しく遊べていたのに
指名して遊ぶようにもなれば
お会計は2万円。
これはまだマシです。
私は酔っ払っうと気が大きくなり
シャンパンを入れたり
とにかくお金を使う自分がかっこいいと
そう思うようになりました。
お会計が10万以上なんて何度あった事か。
それでもお金なんておろせばいい。
最悪、カードもあるし。
リボにすればとりあえず来月は払えるでしょ。
こうしてどんどんお金使いが
荒くなっていきました。
ただ、、、朝に帰り酔いも覚めると
私はとんでもない罪悪感と絶望感に襲われました。
『私なにやってたの、、、、』
『今日は15万円も使ってる、、、』
鞄の中からはクレジットカードの明細が
たくさん出てきました。
そして元々タバコも吸わなかったのに
タバコまで入ってる。
『あー。そうだ。確かに買ったんだな…』
・酒臭い
・タバコ臭い
・なぜか身体は痣だらけ
・お金もない
・髪もメイクもボサボサ
・ピアスや指輪がなくなってる
『虚しい………あんなに楽しかったのに…私最低。
人間のクズだ。やっぱり私は社会不適合者なんだ。』そうやって自分の事をめちゃくちゃ責めては
とんでもなくしんどくなり、つらくなり
気分が落ちる度に手首を切ったり、殴ったりと
自傷行為の頻度も多くなりました。
そして両腕両手にはずっと
包帯が巻かれている状態でした。
母はとてもつらそうでした。
『もうホストに行っちゃダメ。』
『せっかく退院出来たのに。せっかく良くなって来てたのに、また入院させられちゃうよ…?』
『お願いだからもう自分を傷つけないで』
それでも母は決して怒らなかったです。
涙を堪えていつも泣いている私の背中を
さすってくれていました。
母はその頃、私には何も言いませんでしたが
すでに円形脱毛症になっており
車の中で泣いて発狂しては
精神的におかしくなっていたそうです。
そんな事には目もくれず
私は自分がちょっとでも落ち着くと
『また歌舞伎町へ行く。今日はちゃんと帰ってくるから大丈夫。』と伝え、出かけていきました。
そして案の定、終電を逃し
また同じ事を繰り返す日々でした。
自業自得。
こんなに苦しむならやめたらいいのに。
自分でもわかっていたのに
それでも自分の居場所はここしかないと
決めつけてしまっていたんです。
お金を使えば自分を必要としてくれて
みんな優しくて
毎日辛いと思うことを飲んでいる時は
忘れられたんです。
恐らく同じ経験をしたことがある方って
多いんじゃないかなとも思います。
次回は後編を書いて終わりますが
その後、母が当時どれほど辛かったか
そしてどんどん酷くなっていく私と
どう向き合っていくと決めていたか
母目線でもちょっと更新していきますね![]()
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あの時では考えられなかったほど
母と何でも話し合えて
今となってはものすごく仲がいい
親子になりました![]()
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死にたくなるほど辛かったのに
それが笑い話にも出来るほどまでになれるって
あの時は思ってもいませんでした![]()
今がどんだけどん底でも
諦めなければ幸せな人生は必ず待っています。
ただ、無理に明るくなる必要も
頑張る必要もないと思っています。
何もしたくない時は何もしない。
頑張れない時は頑張らない。
自暴自棄になりたい時は
落ちる所まで落ちたらいい。
そこでの経験は決して無駄にはなりません。
今日も頑張らないで生きましょう![]()
そして皆様にとって最高の1日と
なりますように…![]()
最後まで読んで頂きありがとうございました![]()