一年前の今日が母の命日です。


去年の5月に母の左脚が悲鳴を上げました。

そこから約一ヶ月間

母と病との最後の戦いとなりました。


母の体調は1週間毎に極端に悪化していき、

最後の手術で 左脚を太モモから切断しました。


元々 大柄な母でしたが

みるみるうちに痩せていき、

体重は骨と皮だけになりました。


それでも無くなる2日前までは

私の名前をフルネームで呼べていました。


一年前の今頃、私は

馴れないリモート会議と、

病院からの連日の呼び出しに心も身体も疲れ果てていました。

その時も病院から呼び出され

意識が薄れていく母の側にいましたが、

睡魔に襲われ、

一度帰らせて欲しいと看護師さんに

母の事を頼み

一旦帰りお風呂に入り仮眠をとっていました。


その時、看護師さんは

もう帰らないほうがいいと言いました。

母の最期が間近で有ることを

伝えられました。


おそらくいつもならどれだけしんどくても

そのまま居るのですが、

何故かその時だけは、帰りたい··いや

帰らないといけないと思ったんです。


その日私は、母の耳元で

『もう頑張らなくてもいいよ。

あなたのタイミングで逝ってもいいよ』と

声を掛けていました。


一年前のブログにも

何度も書いたかも知れませんが

私は母が大好きでした。

でも母は兄の方が好きでした。

そんな母を最後の一年は独占できました。

とても辛くて悲しい一年でしたが···。


そんな私をおそらく母は最後の最期で

心配してくれのだと思います。

私が崩れてしまわないように

私が居ないところで

一人静かに息を引き取ったのだと思います。


息子と私の誕生日を避けて

通夜と告別式が行われるよう

この日を選んだのだと

今でもそう思います。


私にとって今日は母の日です。

母に感謝する日です。


私と父は大丈夫なので、

バカ兄貴と息子の事を見守って欲しいと

お願いしました。


色々有難うね。

これからもよろしくね。