母が心筋梗塞で倒れ、
主治医には2〜3日が山だと言われました。

ICUで管だらけの母。
心臓だけでなく、腎機能も危険な状態となり
透析することになりました。
口からは呼吸を助けるために挿管され、
閉じない口から飛び出た舌先は
真っ黒に壊死し、
もう母が長くない事を意味していました。

2年前の出来事ですから
まだコロナは発生しておらず、
毎日仕事帰りに病院へ立ち寄り
看護師さんから
『話しかけて下さい。耳は聞こえていますから 』と言われ、家族や見舞いに駆けつけた親戚が代わる代わる話しかけていました。

数日たった頃、
なかなか改善しない母の容態に主治医から
いわゆる延命治療についての話がありました。
私達家族に母の命の選択を促されたのです。

私達家族は以前より、自分の身に何か起きたら
延命はしないと決めていました。
しかし、実際に選択することになると
悩みましたが、
母が苦痛を強いられながら
生きなければならないのならば
意識のないこのまま逝かせてやろうと
決断しました。

その決断を親戚に話し、母の元へ集まって貰い
最期のお別れをする事にしました。
主治医にも話し、延命治療はしない旨の
書類に父がサインをしました。
その翌日、再度検査をしてみて
母の容態が芳しく無ければ···と言う所で
母が準備していた納骨堂とお寺、葬儀場を
確認しました。

翌日、覚悟をもって病院を訪れた父と私。
しかし、母は『まだ死にたくない』と
言わんばかりの復活をし始めていました。

腎臓の数値が回復し、
自分で尿を作れるようになり
意識が回復。
痛みに弱い母はここからが大変でしたが、
日に日に回復度合いが増し、
呼吸器が外れ、
喋る事が出来るようになりました。

しかし、術後せん妄の症状が表れ始め
医師や看護師さんに当りが強くなったり
非現実的な事を口走る様になりました。
その為、手足を拘束されたりしましたが、
ものすごい力で手にはめられたミトンを取ろうとしたり、点滴を抜いたりしました。

毎日仕事帰りにほんの10数分でしたが
会いに行き、母の話を聞いては、
落ち着いて頑張るように話しました。
その中で母はよく、意識がない時の間の
話をしてくれました。
『汽車にのって○○まで行った。汽車の中で駅弁を食べたけどお金が無いので、○○に迎えに来て貰った。』
『銀河鉄道999に乗ってメーテルと星空を旅した。今までに見たことがないたくさんの星に囲まれキレイだった』『姉ちゃん(亡くなっている母の姉)がこっちよ〜と手招きするけど遠くて行けなかった』
『家族が呼ぶ声が聞こえた』など
いわゆる臨死体験をした話を
繰り返ししてくれました。

臨死体験、
本当にあるみたいですよ。
しかし、臨死状態でも『お金がない』って···

私の記憶では母は更年期障害が若くして表れ
体調不良から心を病みながらも
家族の為にずっと働いてきました。
働いてコツコツ貯めたお金は
父や兄貴がほとんどをギャンブルによる
借金返済に当てられ
母はブランド品も、装飾品も一切もたず
外食も殆どせず、旅行も行かず
ユニクロが唯一の贅沢。

母が長年仕事で酷した身体は
ボロボロになり、やっと仕事を辞める事が出来
これから旅行でもと考えていた矢先
酷した足が不自由になりました。
しかし、私は車椅子を準備し
母が昔から『死ぬまでに行きたい』と
言っていた飛騨·高山に旅行に行きました。
念願だった白川郷を自分の目で見る事が出来
喜こんでくれました。

その後も、もっともっと
母には親孝行をしたいと私は考えていました。

私の勤続10年を祝した会社からの祝い金で
超高級旅館を予約していましたが、
バカ兄貴のせいで流れてしまいました。
今でも本当に腹立たしい。

こんな
長年に渡り苦労をしてきた母に
さらなる苦難が待ち受けているなんて
誰も予想はできませんでした。