『10万人を超す命を救った沖縄県知事・島田叡』TBSテレビ報道局『生きろ』取材班です。島田叡って誰よはてなマークでしたが、戦中最後の沖縄県知事、最期まで県民と行動を共にした人物だそうです。渡航さえ難しい状況の1945年1月に赴任し、県民の保護に奔走し、軍が玉砕を叫ぶ中で、「生きろ」といい続けた人物の足跡を追ったもの。 

 軍が住民を守らないなか、守ろうとし続けたのは島田や警察部長荒井退造、そして沖縄県庁職員の奮闘だったことを、初めて知りました。軍は国民ではなく統治体制を守るものだったということも、沖縄戦は示しているのでしょうね。

 「沖縄県民斯クタタカヘリ」という大田司令最期の電文、この一文の前に、沖縄の悲惨な現状が切々と訴えられています。その上で、最後の「県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ」なのですね。

 住民の4分の1が犠牲になり、戦後も米占領下に置かれた沖縄。その犠牲に対して、国はどう報いてきたのでしょう。「特別の御高配」が、今も存在し続ける米軍基地だというのなら、何という無慈悲。