fullbookさんご紹介の『日本人はなぜ「さようなら」と別れるのか』、阿久悠さんの詞から、『徒然草』、良寛や親鸞まで、幅広い資料を引いて日本人の死生観に迫るものです。

 「さようなら」は「そうであるならば」という接続語から派生した別れの言葉です。「そうであるならば、あちらの世界にお別れします」という死の意識が込められている。死を意識する事は、生を意識する事と同じ。どう生きるかという問題にも言及されています。

 死を前にして、「さようならば」と決然たる諦めに至るのか、敗北の無常観に陥るのかは、それまでの人生を完結できるか否かによるのではないか、堅苦しい言い方ですが、そう感じました。

 「明日」の先に置いた目的によって「今日」の自分を手段化しない、というのは、死と生の両方に通じる考え方なのかと思います。なかなか難しい(-"-;A・・でも面白かったです。