信頼度が高くても結局選ぶのは他人
妻にこんな質問をしてみた
日本人の作るオムライスと外人が握る寿司のどっちがいいか?
妻は日本人が作るオムライスと答えた
次に
外人が作るオムライスと日本人が握る寿司のどっちがいいか?
妻は外人が作るオムライスと答えた
(えーって思ったw本当は日本人が作るものって信頼度高いよねっていうオチになるよう質問したが、さすが!私の妻。信頼度より自分の好きなものを選択する)
そう!なんでこんな質問をしたかと言うと日本人って信頼度が高い民族として有名と確かめたかっただけ
平成でいえばメイドインジャパンっていえば商品の信頼度爆発的に高まったとニュースでもよく報道していたことを覚えてます
そして思いやりやおもてなしの国
でも妻にとっては、誰が作るかではなく何を食べるかを優先しただけのこと
だから信頼度が高いと言っても第3者にとっては関係ないということがわかった
決めるのは世間ではなく、食事をしたり、商品を購入する他人が決める
運動教室においては、有難いことによく「百瀬コーチは信頼できる」と言われます
でもいつも緊張して指導をしている
その緊張は「誰にでも信頼できるように」という真意があるかもしれない
「もう信頼されているから何やっても大丈夫!」と言うわけにがいかない
「これからも」「はじめての方にも」ということを微かに想いながら指導をしているのかもしれない
信頼度が高くても、生き物のように動く
すぐ信頼度が低くなることもある
信頼関係はとってもデリケートなもの
そして、人に寄って信頼基準は違う
だからこそ、同じ指導や同じサービスだけをやらないようにしよう
いろんな視点で指導内容・サービス内容を変化し、需要を訴求しチャレンジしないとずーっとは信頼は続かない=運動教室は続かない
続く・・・
