羊の木(1)
原作:山上たつひこ 作画:いがらしみきお


ただ――

ほんの少し――

ほんの少しだけ愛を多く賜りたい



作者両名を見ただけでも平伏してしまうような、豪華なコラボレーション。

「がきデカ」の山上たつひこ先生が原作で、「ぼのぼの」のいがらしみきお先生が作画。

その中身は極めて社会派で、人間の本質を抉る文学的内容で読み応えがありました。



全国の刑務所は近年常に定員をオーバーしており、6人部屋に10人とか3畳の部屋に2人といった状況も当たり前に存在するそうです。

検察に嫌われてしまったが故に投獄されたり、食うに困って犯罪を犯し自ら檻の中へ入りたがる老人もいるという末世ですが……


定員がオーバーなら出所者の数もまた多大。

今作で説明される数字は2008年で31700名だそうです。


この羊の木はそんな出所者達と一般人を描いた物語。



凶悪事件の出所者受け入れを、極秘裏に住民に説明する事もなく行うプロジェクトが進行していた。


人口13万人の港町・魚深市。

多くの地方都市が抱える過疎という問題を、魚深もまた抱えていた。

過疎解消の名目もあり、最初の出所者受け入れモデルケースの都市として白羽の矢が立てられた。



マンガソムリエ兎来栄寿のブログ 先刻の箚記(さっきのさっき)-ipodfile.jpg

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殺人者・強姦魔・詐欺師・薬物中毒者など、様々な犯罪者達11人がお互いにも正体を隠して街に溶け込んでいく――



非常に現実に即した物語です。

喫緊の課題である過疎と刑務所定員の問題は、今の日本で生きる我々にとって他人事ではありません。


人は、先入観や臆見を捨て去ることが出来ない生き物です。

「受刑者」という肩書きを前にすれば、その個々人の様態に関わらず何処か構えてしまう事は否めないでしょう。

ましてや、そういった人ともし一緒に暮らす事になるとしたら?

大半の人は、もし予め自分の住む街に元受刑者が来る事を知らせられれば、少なくとも良い気分にはならないでしょう。


「果たしてあなたは殺人犯の隣で眠ることが出来るか?」

という普段は思考停止している命題。

この本はその問を揺り起こされます。


しかし、現実的に投獄された人とて出所すれば普通の人間として生きていく訳です。

その為にはどこかに居を構えて暮らしていかねばなりません。


丁度、現在話題になっている瓦礫受け入れ問題に似ているかもしれません。

これらは裁判員制度などと同じく、国全体・国民全体で引き受けるべき問題で、嫌だとかノーだとか言える類の物ではないと思います。



ただ、巻末の両先生の対談で、山上たつひこ先生が言及していた通り一口に殺人犯と言っても様々なパターンがあります。


法律は普遍的なものの集合だけど、殺人は究極の個人体験だ。法律という網で殺人という個人体験を掬おうとすると、抜け落ちるものがいっぱいある。抜け落ちたものの中にこそ殺人の本質がある。そう僕は考えています。法律の網をくぐり抜けたものが何かというと、生理感覚や皮膚感覚、あるいは情緒を通してでないとそれは見えない。


僕は四人を殺した永山則夫がもし生きていて仮釈放になったとしたら枕を並べて眠れるだろう。酒ぐらいなら付き合えるかもしれない。でも、女を殺して細切れにして下水に流しちゃった奴とは絶対枕を並べて眠れないね。ヤクザの抗争で、三人日本刀でぶった切った奴でも同じ部屋にいられる気がする。でも、借金を断った腹いせに相手を絞殺した人物には100メートル以上近づきたくない。乱暴なくくりで申し訳ないけど、こういう生理感覚はゆずれない。


でも、裁判はそれをふるい分けてくれないんだ。「羊の木」ではそれを描こうと思いました。元受刑者と市民の生理、皮膚感覚とのせめぎ合い。


という、山上先生の言にはとても考えさせられます。


正に、この「皮膚感覚とのせめぎ合い」は読んでいて強く感じた所でした。


衣食住が足りず起こしてしまった犯罪と、自らの嗜虐心を満たす為・快楽を貪る為の犯罪は全く異質です。

恋人を陵辱・惨殺されて復讐するという行為はともかく心情は理解できますが、コンクリート殺人事件の犯人達には激しい嫌悪を覚えます。


あるいは、元受刑者達との会話シーンでも、厄介な他人に対してどこまで親身になれるかという境界線を意識させられます。


普段、綺麗事ばかり吐いている私ですが

受刑者のイボの血が入ったラーメンを食べられるか?

と、突き付けられると普段湧出しない感情、聖人君子でない自分の優しさの限界を認識します。


そんな、人間の本質的な部分でのエゴイズムを剥き出しにして見せてくれる作品です。



又、山上先生はさらりと描いたつもりの「幸福のDNA」という件を、いがらし先生が掘り下げて大きく扱った、というお話も興味深かったです。



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市長の娘として生まれ何不自由なく生まれ育ちボランティア活動に従事する智子と、最悪な両親の下で生まれ施設に入れられ育った寺田。


「不幸のDNAを持って生まれた人が幸せになるのは絶望的」「一見幸せに見えても不幸」「どうすればいいか、どうしようもない」という、普通は臭い物として蓋される事を真っ直ぐに語った刺激的な内容でした。


どうしようもない部分は大小はあれど、誰でも抱えてる物。

日本という国に生まれて食べる物にも困らずに暮らしている私が言うのも烏滸がましい事かもしれませんが、そんな私でも嘗ては自殺と他殺について真剣に考えた事があります。

そして、今でも私の「不幸のDNA」をこの世界に残したくはないと思う部分があります。

人はどうにかできる部分をどうにかしていく以外にはないのでしょう。



しかし、決して重いだけの作品ではなく、物語としての面白さも十分以上に持っています。

常に「何をするか、何をされるか分からない」という緊張感。

互いに正体を知らない元受刑者同士の接触。

折しも、モーニング編集長の島田英二郎さんが

「これは多分文学も同じで、どんなに壮大で深淵なテーマを扱っていても、他人に読まれることを前提とした作品である以上は、面白くなければ(エンターテイメントでなければ)意味がない。高尚だから難解でいい、なんてことはないのだと思う」

呟いていました。


そして、この羊の木も深いテーマを取り扱ってはいますが、ちゃんとそこに物語としてどう立ち行くのか解らず先が読みたくなるというエンターテイメント性が同居しています。


去年読んでいたら、間違いなく個人的ベスト10に入れていたであろう作品。

次巻はもっと凄くなりそうな予感があります。


血生臭い描写や性的表現も若干ありますが、広く読まれて欲しいです。

もし私が教師だったら、ディベートの教材にしたい位です。


85点。