Under Construction

 

原罪とは不幸であること。  自己意識 第三者の目を通して自分を見るから裸であることに気がついた。 措定した

 

 

 

 

 

 

 

 

「とがめの交唱」である。この聖歌は、その歌詞が神に向かって賛美をささげるものではないところに最大の特徴がある。逆に、神が私たちに向かって「民よ」と繰り返し呼びかけているのである。そのリフレイン、すなわち「交唱」は、こうなっている。「民よ、わたしにこたえよ。わたしはあなたに何をしたか。何をもってあなたを悲しませたか。」

 

十字架の礼拝

この式の起源は古く、4世紀のエルサレムではキリストの十字架の聖遺物への礼拝が、聖金曜日の午前中に行われていました。このような実践が、西方教会に伝えられ、しだいに典礼として定着しました。現行の『ミサ典礼書』には、十字架の礼拝中に歌う聖歌として、二つの十字架賛歌(「クルーチェム・トゥアム」、「クルクス・フィデーリス」)と「とがめの交唱」を記載していますが、他のふさわしい聖歌を歌うこともできます。
「クルーチェム・トゥアム(Crucem tuam)」は9世紀ごろに東方教会で編集された交唱集に由来する聖歌です。「とがめの交唱」は、不信仰な民をとがめる神の言葉で構成されています。「非難」や「とがめ」を意味するラテン語で「インプロペリウム(Improperium)」とも呼ばれます。歌の途中に、「ハギオス」(聖なる)というギリシア語で始まる神への賛美の言葉を3回繰り返す「トリスアギオン」(三聖唱)と呼ばれる部分が挿入されます。「クルクス・フィデーリス(Crux fidelis)」は6世紀に活躍した詩人ヴェナンティウス・フォルトゥナトゥス(530~609年)が、十字架の聖遺物の行列のために作ったと言われています。

 

以前にも書きましたが、アヴェ・マリアで始まる祈りがあります。

 

天使ガブリエルがマリアに受胎を知らせたときに、天使は先ずマリアを祝福しました。その言葉を中心にした祈りなので、天使による祝福の言葉、と言う意味で天使祝詞とも呼ばれています。

 

受胎告知に関しては多くの絵が描かれていますが、下の画像はボッチチェリの絵です。他の多くの作品では、マリアは静かに告知を受け入れていますが、ボッチチェリの作品では、マリアは驚きのあまり錯乱して気絶しそうです。天使ガブリエルも慌てて「マリア様、お気を確かに。」と言っているようです。

まだ処女の16歳の女の子が「妊娠しているよ」と言われたら錯乱して当然でしょう。 ただ、絵のタイトルは受胎告知ですが、正確にはこの時点ではマリアは受胎していません。天使は、「あなたは受胎するよう選ばれたけれど、どうする?」とマリアの同意を求めに来たのです。マリアには拒否権があります。そして、マリアは受託します。

 

マリアが受託に際して発した言葉は「わたしは主のはしためです。 お言葉どおり、この身になりますように。」でした。 これが英語のLet it beになりました。ラテン語では、Be動詞の命令形Fiatを使い、Fiat mihi と答えています。「その通り、私になれ!」という意味です。イタリアの自動車メーカーのFIATは、トリノ自動車製造所からFABBRICA(工場)ITALIANA(イタリアの)AUTOMOBILI(自動車)TORINO(トリノ)の頭文字を取ったものですが、マリアの言葉も意識にあったのでしょう。

 

BeatlesにもLet it beという歌があります。歌詞に「マリア母さんが教えてくれた」という言葉があります。ポールマッカートニーのお母さんの名前はマリアだそうです。ここにも、聖書の言葉が意識されているのは確実です。

 

話を戻して、神さまは万能なんだから、マリアの同意など得ずとも勝手に受胎させれば良さそうなものですが、神さまって意外と一人では何にもできなくて、人間の協力を必要とします。

 

さて、アヴェ・マリア お祈りの言葉は次の通りです。

 

①アヴェ、マリア、恵みに満ちた方、
 主はあなたとともにおられます。
②あなたは女のうちで祝福され、
 ご胎内の御子イエスも祝福されています。
 ③神の母聖マリア、
    わたしたち罪びとのために、
    今も、死を迎える時も、お祈りください。

 

①はルカに出てくるガブリエルの言葉です。

 

②は同じくルカに出てくるエリザベスの言葉です。

 

13世紀までは、①と②のみが唱えられていました。③の祈りの初出は1495年で、③を加えた祈りが広まったのは1545年ごろ、そして1566年には教会の祈りとして正式に採用されています。

 

つまり、カトリック教会がアヴェ・マリアを唱えだしたのは、1517年に始まるルターの宗教改革と時期を一にしています。ルターはマリアを崇拝していましたが、プロテスタントは17世紀ごろからマリアへを特別視しなくなります。カトリックがあまりにも熱心にマリアを崇敬するので、反対にマリアを軽んじたのでしょう。子供が「お前の母ちゃん出べそ」と友達をからかうようなものですね。

 

  ぞうさん、ぞうさん、

  お鼻が長いのね。

  そうよ、母さんも長いのよ。

 

作詞者のまど・みちをさんによると、鼻が長いことを馬鹿にされたぞうさんが、「母さんも長いから、いいんだもん」と言っていることを歌だそうです。「お前の母ちゃん出べそ」と言われたカトリックは、「出べその母ちゃんが大好きだ!!」とますますマリアが好きになりました。

 

閑話休題。②の「女のうちで祝福され」という言葉の意味が、私には分かりませんでした。 これはヘブライ語の表現で、「バナナは果物のなかで美味しい」「新幹線は、電車の中で早い」というと、最もおいしい、最も早い、となるそうです。「女のなかで最も祝福されている」という意味だそうです。

 

私は長い間、マリアには関心がありませんでした。というよりは「マリアまで手が回らない」という感じです。カトリックを障害物レースに例えると沢山のハードルがあります。神を信じなければいけないし、イエスを神の子と信じて、それから。。。。 と沢山あるのです。疲れ果ててしまって、マリアまで到達しませんでした。

 

最近、朝晩にストレッチ体操をしているのですが、整体師に勧められたストレッチは、同じ姿勢を40秒保つというものです。時計で測るのも面倒だし、数えるのはもっと面倒です。アヴェ・マリアを3回唱えると45秒なので、朝晩アヴェ・マリアを唱えるようになりました。

 

毎日唱えていると、なんとなく意味が見えてきました。三回唱えるので、三つの意味を込めて唱えるようにしています。

 

さっぱり分からない言葉があります。「マリアは女のうちで祝福され、イエスも祝福されています。」という言葉です。さっぱり分かりません。イエスは十字架上で殺され、マリアは息子の悲惨な死に接するのです。祝福どころか呪われた人生です。だいたい神に選ばれたり祝福されたりすると碌なことはありません。聖人は殉教しているし、預言者たちはトンデモナイ苦労を背負わされています。 私は「大きな祝福は無用です。小さな幸せの祝福にしてください。」とお祈りしています。主の祈りにも「私たちを試みにひき給わざれ」とあります。

 

エレミアも神に選ばれて預言者にされたとき、「私にはできません」と一度は断っています。エレミアにできないのだから、私にできる訳がありません。

 

「イエスは人類を救うために、進んで十字架に向かった」と言う人がいます。そんな筈はありません。イエスだって十字架に付くのは嫌でした。嫌だけれども、神が選んだ人生を生きたのです。神への信頼があったからです。マリアも普通の幸せが欲しかったはずですが、神への信頼が普通の幸せを選ばせなかったのです。

 

マリアがそれほどまでに神を信頼できたのは、マリアが信心深いからでも、マリアが偉いからでもありません。たまたま神さまに選ばれてしまい、信仰心を押し付けられたからです。ヨハネ15-16にある「あなたがたがわたし選んだのではないわたしあなたがたを選んだ。」とある通りです。迷惑な話です。不信心に生まれていれば処女で妊娠するなんていう災難には遇わなかったでしょう。

 

ということで、三回唱えるアヴェ・マリアの一回目は、

 

 「マリアは神に選ばれ、祝福され信仰心を押し付けられました。神に選ばれなかっ  

  た私は、信仰心も祝福にも恵まれず罪深い人間です。そんな私のために祈ってく 

  ださい。」

 

という意味を込めて祈ります。私が罪深いのは私のせいではありません。神が私を選ばなかっただけです。まあ、私としては小さな幸せの方が好ましいわけですが。そして、私は多くの「小さな幸せ」に恵まれてきました。多謝多謝です。(広東語で「有難う」の意味です。ドーチェ・ドーチェ)

 

マリアもイエスも悲惨な人生を歩みましたが、二人とも幸福な人生であったと思います。神への絶対的な信頼があれば不安や絶望もありません。常に神の恵みとともに生きていました。二回目の祈りでは、

 

 「神に選ばれたマリアは幸福でした。神に選ばれなかった私は罪深いので、マリア 

  のように幸せに生きていません。そんな私のために祈ってください。」

 

という意味を込めています。もっとも、私も少しは神に招かれて信者になっています。

 

「罪深い」というのは、何か悪いことをしたという意味もありますが、「幸せでない」ということです。神は「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。」と言っています。(テサロニケ15-17) 不満ばかり言って神の恵みを喜んでいない私たちは罪深いのです。。

 

人を馬鹿にするときに「あんた幸せだねえ」と言い方をします。現代人は「幸せ」であることに後ろめたさを感じるようです。しかし、イエスの時代、古代人にとって「幸せ」とは無条件に人生最善の目的でした。

 

「倫理」と言う言葉を辞書で引くと、「道徳、モラル、規範」といった言葉が並んでいます。古代人であるアリストテレスにとって、倫理とは「幸福を実現するための実践」です。そして、「幸福」こそが最高善です。

 

私たちも幸せに後ろめたさを感じることなく、「いつも喜んでいる人生」を目指すべきです。エズラは「今日は聖なる日だ。悲しんではならない。良い肉を食べ、甘い飲み物を飲みなさい。主を喜び祝うことこそが、あなたたちの力の源だ」と言っています。ネヘミヤ記8-10

 

アダムとイブも、エデンの園にあって無条件に幸せでした。神は人間を幸せであるように作ったのです。しかし、アダムとイブは神への信頼以上に、蛇の言葉を信頼したため、罪を犯し不幸せになりました。私たちもマリアのような幸福を目指すべきです。

 

ミサの最後に、「行きましょう。主の平和のうちに」という言葉で司祭はミサをおえます。


「 Ite missa est 」ラテン語(ite = 行きなさい、missa est = 派遣である)
「 Go, in the peace of God 」英語

 

2人称複数形の命令形です。「行け」という“派遣”の言葉です。

 

キリスト教の信者は、イエスの教えを宣べ伝えるために世間に派遣されるのです。ラテン語のmissaはミッションと同源です。ミッション・スクールや、Mission Impossibleのミッションです。 

 

マリアもイエスも、神の福音を全世界に宣べ伝えるというミッションを今でも果たしています。(二人とも死んでいません。天国で生きています。)復活したイエスは弟子たちに「全世界に行って、福音を宣べ伝えよ。」(マルコ16-15)と言っています。このミッションを私は果たしているでしょうか? Mission Impossibleです。全然果たしていません。3回目の祈り、

 

 「祝福されたマリアは、多くの人に教えを伝えていますが、罪深い私はミッション 

  を果たしていません。そんな私のために祈ってください。」

 

という思いを込めて祈ります。

 

さて、私の近親者が十数年の闘病生活の末に、終わりのときを迎えようとしています。先日、病院に行って面会してきました。もう意識もなく、言葉をかけても反応もないので、私はアヴェ・マリアを三回唱えました。いつもは考えたことのない「今も、死を迎える時も、お祈りください。」という言葉に、特別の意味が感じられました。私たち罪びとは、いろいろと至らないところもありますが、マリア様の執り成しを願って祈ることはできます。

 

こういうとき頼るべき神を知っていること、そして祈りの言葉を知っていることは大変に便利です。信仰を持たない多くの人は誰に祈ったら良いか分からないでしょうし、祈りの言葉も知らない人が殆どです。日頃からお付き合いのない神さまに祈ることに変な感じがしませんか?

 

キリストは十字架の上から、使徒ヨハネに向かって「これが貴方の母です」と言い、マリアに向かって「これが貴方の子です」と言いました。マリアはヨハネの母であり、教会の母、私たちの母です。私たちも使徒ヨハネと同じくマリアの子です。ポール・マッカートニーと同様に、私たちの母はマリアです。私たちのために執り成してくれます。

 

And when the night is cloudy
There is still a light that shines on me
Shine until tomorrow
Let it be


雲が立ち込める夜も
明かりはずっと照らしてくれる
夜明けが訪れるまで
Let it be! [お言葉どおり、この身になりますように。]

 

 

 

 

今年の5月に福井に行ったばかりですが、今回は越前ガニを食べるために同期の友人6人と福井を再訪しました。そのうち一人が福井に住んでいます。都道府県の「幸福度ランキング」では、福井はなんと6回連続で総合1位です。

 

私は会社にいた頃は海外畑に引きこもり状態で、同期との付き合いはほとんど無かったのですが、こうして退職後になっても遊んでくれて感謝感謝です。

 

福井はお天気が変わりやすい土地のようです。この日も雨、晴れ、曇り、そして雹が降りました。 そして冬の日本海の荒波です。海の上にも、厚い雲がドンヨリと罹っていたり、青空があったりと複雑な光が交差する中で見る荒波は格別でした。

 

 

10時半に福井駅に集合。駅前の恐竜です。福井大学には恐竜学部があるそうです。定員は6人ですが、競争率は10倍。卒業したら、どこに就職するのでしょうか? 

 

まずは三国港の蕎麦屋に行きました。キリリと締まった新蕎麦と大根の辛みが美味かったです。1050円 安いです。東京の蕎麦屋の4本分ぐらいあるような太い柱が風格を感じさせます。

 

 

三国港は北前船の寄港地として大変栄えたそうです。九頭竜川の河口にあるため、内陸との水流が便利でした。

 

北前船による廻船業を生業とした豪商のひとつが森田家です。森田銀行の本店は1920年(大正9年)に落成しました。その後、福井銀行に合併されました。

明治になって、三国湊は九頭竜川が運ぶ土砂により港が埋まり、存続が危ぶまれた時期がありました。土砂を掘ったのですが追いつきません。それを救ったのがお雇い外国人のエッセルです。だまし絵で有名なエッシャーのお父さんです。エッセルの案は奇抜なもので、川を掘るだけでなく河口に突堤を作るものでした。

 

突堤の工事や、飢饉の際のコメの炊き出しなどに際しては、北前船で儲けた商人たちが金を拠出したそうです。拠出しすぎて潰れてしまった商人もいたとか。相続税のない時代の話ですね。

 

この案のお陰で湊は使えるようになったのですが、三国湊は北陸本線から外れてしまい衰退の途を辿ったそうです。時代の流れには抗し切れませんね。でも昔の賑わいを感じさせる街並みが残っており、そこかしこにお洒落な店も点在しています。

 

↓こんなお寺がありました。受験生が初詣に来そうです。でも閑散としていてお札もありませんでした。立派な建物ですが、地方のお寺は寂れる一方のようです。

 

この後、海岸にある「ゆうとぴあ」という温泉に行ってから今日の宿 「料理民宿 いそや」に行きました。今日の目当ては

 

越前ガニは上品で美味しかったけれど、私はそれほどカニには執着はありません。上海ガニとか毛ガニの方がいいかな。仲居さんたちが親切でした。東京の女の人とは一味違うような。 11時ごろまで飲んで騒いで、新入社員時代の女の子の誰それはおっぱいが大きかったとか、足首が良かったとかいう話で盛り上がりました。男とは成長しない生きものなんですね。

 

翌朝、「宿の前に水族館があるから行こう」と一人が言い出しました。誰も興味は無かったのですが、反対することもないので越前松島水族館に行きました。猟師さんが水揚げした魚を飼っているということで、特に目を引くものを無かったですが、生きているズシダネが並んでいるような水族館でした。

 

今日もお天気が変わりやすく、時折ざんざん振りの雨でした。予定していた景色の良いところには行けないので、年縞博物館に行きました。

 

年縞?? 年縞博物館??? はて? 

 

年縞とは、湖の底に貯まった堆積物の年輪です。私なら「湖の年輪」と名付けるところですが、縞模様なのでこのように訳されました。英語ではVarva。

 

福井県にある水月湖の年縞は4万年分の記録が保存されているということで、世界でもっともよく保存された年縞で、そこに含まれている火山灰や花粉を分析することによって、過去の温度や気候が分かるそうです。考古学や人類学に必要な年代の測定は、水月湖の年縞から得られたデータを基に決定されているそうです。水月湖の年縞が見つかるまでは年代の決定に十分なデータがありませんでした。

 

これだけの年縞が保存されたのは、水月湖が深かったこと、そして隣の湖から安定的に水が供給されたからです。川が流れ込んだりすると、大水のときに激流となって湖水が攪拌されてしまいます。

 

この研究はイギリスやドイツからの資金によって行われました。どうして、日本政府からは資金が出なかったのでしょうか? 文部省には目利きがいなかったのでしょう。

 

年縞博物館の隣には、縄文博物館がありました。立派な建物で感心しましたが、展示物はたいしたことありません。典型的なハコもの。箱ものに強い目利きがいたのでしょう。そういえば、日本一星が綺麗に見えるという長野県の野辺山高原に、プラネタリウムが立っているのを見て魂消たことがあります。

 

そろそろお昼の時間なので近くのうなぎ屋に行きました。実はわたくし、10年以上うなぎを食べていません。絶滅危惧種だし、なんといっても東京のウナギは高い。旅行中は気が大きくなって財布の紐がゆるみます。そして、ここでは私の財布でもなんとかなりそうな値段でひつまぶしを食べました。実に美味しかったです。もしかしたら、生涯最後のウナギになるかもしれません。お土産に白焼きも買いました。白焼きは熱燗と一緒に食べなければなりません。家族にもお土産として一本買いました。ちょっと気が大きくなり過ぎました。

 

 

ウナギの後は、敦賀駅で解散。6人のうちの一人は福井の家に、一人は広島に、一人はBMWで大阪に、そして私たち3人は東京へと別れました。来年は山口県に行こうと約して。

 

 

レオナルド・ダ・ヴィンチの名画、最後の晩餐です。

 

 

もう30年以上前にミラノでこの絵を見ましたが、ひどく汚れていて、絵の具も落剝してました。その後、修復されて今は良くなっているかもしれません。

 

誰もが指摘することですが、イエスの左にいる人物は髪の毛が長くてナヨナヨしています。「これはマクダラのマリアだ」という人もいます。このナヨナヨ人間はレオナルドの独創ではなく、聖書の記述に沿ったものです。

 

「弟子たちのひとりで、イエスの愛しておられた者が、み胸に近く席についていた。そこで、シモン・ペテロは彼に合図をして言った、「誰のことをおっしゃったのか、知らせてくれ」。 その弟子はそのままイエスの胸によりかかって、「主よ、だれのことですか」と尋ねた。」ヨハネの福音書13-23

 

この「イエスの胸によりかかった、イエスの愛していた弟子」が誰かは分からないのですが、ヨハネであるというのが通説です。もしかしたらマクダラのマリアかもしれません。どちらにせよ、「み胸に近く席についていた。」とか、「イエスの胸によりかかって」って、大勢の人前でただ事ではないですよね。

 

これにはレオナルドだけでなく、多くの画家も頭を悩ませたようです。下は16世紀に東方教会で描かれた最後の晩餐ですが、小柄なヨハネがイエスに縋りついています。ヨハネは子供だったとされているので、こういう解釈も有りでしょう。

イエスが十字架につけられたとき、ヨハネは他の女たちと一緒に十字架の下にいました。これは女子供だけに赦されたことです。だからヨハネは子供だったようです。

 

色んな解釈があるのですが問題は「椅子」です。私たちが考える「椅子」はこんな感じです。

 

 

ところが、ローマ時代の椅子は少し違っています。ほとんどベッドみたいな椅子に寝転んだそうです。ヒエロニムスがラテン語に翻訳したウルガタ聖書では、イエスは「横たわった」(recubuisset )と書いてあるので寝そべってご飯を食べたのでしょう。お行儀の悪いことです。

 

英語の「21世紀欽定訳」では" had sat down, "となっており、寝転んだという感じはしません。新共同訳では「ふたたび席についた」となっています。日英の最新の翻訳には根拠がある筈です。新約聖書はギリシャ語で書いてあるのですが、私はギリシャ語が読めません。機会があればギリシャ語の出来る知人に尋ねてみます。

 

最後の晩餐では、寝椅子に転がってご飯を食べたとすればこんな感じです。 

 

大変にお行儀が悪いです。食べかすは床に捨てます。奴隷が片付けるので問題ありません。(※犬が骨を拾ってます。)これなら、イエスの横にいたヨハネが「イエスの胸によりかかって」も不思議はありません。

 

イエスやヨハネの位置関係については諸説あるようですが、

 

 

テーブルが学級会のようにコの字型に並べられ、その三方に、寝椅子というかベッドが三つ置かれました。一つのベッドに4人の男が寝っ転がって、左手で半身を持ち上げ、右手で食べ物を掴んで食べました。

 

・主人であるイエスは、左側のベッドの2番目。

・ヨハネは、イエスのこちら側。

・ユダはイエスから食べ物を渡されているので、イエスの向こう隣。この席は大切な  

 客が座る席です。ユダが裏切ると知った上で、イエスがユダを最高の席に座らせて

 います。

 

いくらなんでも、マクダラのマリアが男たちと一緒にベッドの上で寝っ転がったとは思えません。イエスは少年のヨハネを可愛がって横に置いたのでしょう。

 
ローマ人が寝転がってご飯を食べた、ということは15世紀には忘れ去られていたので、「み胸に近く席についていた」という聖書の記述にレオナルドも困ったのでしょう。そこでヨハネをナヨナヨさせた訳です。

 

つまり、レオナルドの「最後の晩餐」は、図柄が根本的に間違っているのです。

 

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寝っ転がることのほかにも、ローマ人の風習で面白いことがあります。ワインは大変な貴重品で、水で割って飲んだ!! 醸造技術も未発達なので、ブドウジュースを発酵させるのは容易でなく、蜂蜜を入れて糖度を増しました。そうして出来た甘いワインを水で割りました。カルピスみたいですね。

 

最後の晩餐の後、イエスたちは歌っているので、それでも酔っぱらったのでしょう。
 
カトリック教会では「ミサ」をします。ミサは日曜日だけではなく、ほぼほぼ毎日行われます。プロテスタントの教会で信者が集まってお祈りするのは「礼拝」です。ミサではありません。
 
ミサとは、
①十二使徒の後継者が行う、(牧師さんは十二使徒の後継者ではありません。)
②パンとワインを用いる、
③最後の晩餐の記念です。
 
ミサではワインに水を混ぜます。イエスがそうしたからです。 ワインはイエスの血です。 水は人間を表しています。この二つを混ぜることで、人間がイエスとともに復活すること、そして、復活のわざに人間が協力していることを示しています。でも、元はと言えばワインを水割りにして飲んだローマの風習に理由をこじつけたというのが真相です。酒飲みの神父さんは水を少ししか入れないそうです。飲めない神父は、ワインはほんの数滴だとか。全くダメな神父さんはブドウジュースを使うそうです。
 
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さて、「椅子」に話題を戻すと、ルカ10-38に出てくるマリアとマルタの話も関わってきます。

 

「イエスがある村にはいられると、マルタという女が喜んで家にお迎えした。彼女にマリアという妹がいたが、主の足もとにすわってみことばに聞き入っていた。」

 

フェルメール『マリアとマルタの家のキリスト』1654-1655年頃 

 


 

 妹のマリアは、「主の足もとに座って、その話に聞き入っていた。」とある通りです。ところが、椅子は寝椅子だったのなら、イエスが寝そべっている寝椅子の端にマリアが座ったのかもしれません。孔子様は「男女7歳にして席を同じうせず」(後述)と言っています。お嫁入り前の娘がすることではありません。そもそも、嫁入り前の娘二人だけが住んでいる家に、イエスが入ったことも、当時の道徳に反したかもしれません。イエスは「掟のために人間があるのではない。人間のために掟がある。」と言うくらいですから、世間の常識に反した行動をとり顰蹙を買うこともあったと思います。

 

「足もとに座って」と言う表現ですが、英語の聖書を見ると、

 

Luke 10-39 she had a sister called Mary, who also sat at Jesus’ feet and heard His Word. マリアは主の足もとに座って

 

とあります。これと同じ表現が、聖書の別の個所で使われています。


  Acts 22-3  brought up in this city at the feet of Gamaliel, ’パウロは)この都で育ち、ガマリエルのもとで教育を受けた。
   
ラテン語聖書を見ると、「足もと」は両方ともsecus pedesが使われています。pedesとはペディキュアとかPedistrian(歩行者)と同じく「足」のことです。

 

「マリアは主の足もとに座って」と訳さず、「マリアはイエスのもとで学んでいた」と訳しても良いかもしれません。ただ、パウロは何年間も勉強したので抽象的な表現も良いでしょうが、マリアはその時だけなので、具体的な表現が良いとも思います。

 

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ローマ人のテーブル風景が分かると、聖書の他の個所も見方が変わってきます。

 

ルカの福音書にある話です。

 

<7:36>あるパリサイ人がイエスに、食事を共にしたいと申し出たので、そのパリサイ人の家にはいって食卓に着かれた。

<7:37>するとそのとき、その町で罪の女であったものが、パリサイ人の家で食卓に着いておられることを聞いて、香油が入れてある石膏のつぼを持ってきて、

<7:38>泣きながら、イエスのうしろでその足もとに寄りまず涙でイエスの足をぬらし、自分の髪の毛でぬぐい、そして、その足に接吻して、香油を塗った。

 中略

<7:44>それから女の方に振り向いて、シモンに言われた、「この女を見ないか。わたしがあなたの家にはいってきた時に、あなたは足を洗う水をくれなかった。ところが、この女は涙でわたしの足をぬらし、髪の毛でふいてくれた。

 

伝統的には、下の絵のように理解されてきました。

 

これもイエスが寝椅子に横たわっていたとすると景色が変わってきます。

 

 

マタイの福音書15章にはカナン人の女が「私の娘が病気です。助けてください」とイエスに懇願します。

 しかしイエスは「自分はユダヤ人の許に遣わされている。カナン人を助ける訳にはいかない。15:26 「子どもたちのパンを取り上げて、小犬に与えるのはよくない。」と冷酷なことを言って断ります。 
 しかし、女は15:27 「主よ。そのとおりです。ただ、小犬でも主人の食卓から落ちるパンくずは食べます。」と再び懇願し、イエスは女の願いを聞き入れます。上に貼ったお行儀の悪い宴会の絵にも、子犬が食べかすを拾っている様子が描かれていますが、当時の人にとっては見慣れた光景だったのでしょう。

 

何よりもかによりも、最後の晩餐でイエスが行ったパンとワインの祝福は、みんな寝っ転がってしたんですね。ということは、教会のミサも寝っ転がってするのが正しいということになります。私は聖歌隊に入っているのですが、寝っ転がったまま歌うのは難しそうです。

 

先に、孔子様の「男女7歳にして席を同じうせず」と言う言葉を引用しました。古代中国では、土間にムシロを敷き座りましたが、幼い子供は一枚のむしろに何人か座りました。 ここでいう席とは寝床のことだという説があるそうです。椅子と寝椅子の話に似ています。

 

孔子の弟子に宰予と言う人がいました。優れた人ですが怠け者らしく昼寝をしているところを孔子に見つかりました。怒った孔子は「朽木彫るべからず」といったそうです。これに対して「昼寝ぐらいで怒られるはずがない」と言ったのが荻生徂徠です。そこで徂徠は「宰予は昼間から女と寝たから怒られたんだ」と考えたそうです。荻生徂徠は昼寝好きだったのでしょう。昼寝がいけないんなら私などとうの昔に朽ち果てています。

 

高校の教科書に書いてあったことですが、荻生徂徠は古文辞学という学問の方法を始めました。世界大百科事典によると、「徂徠は、時代によって言葉は変化するという前提に立って,古典を古典として当時のことばの意味を通じて理解する必要を説き,〈古文辞学〉を提唱した。」そうです。 

 

最後の晩餐の「椅子」や「席」を古文辞学に倣って「当時のことばの意味を通じて理解」すれば、椅子とは寝椅子であったことが分かったはずですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その我が家のX'MASツリーです。
 
こんなに立派なX'MASツリーがあるのは、我が家だけでしよう。 居間からこのツリーが見えるのは我が家だけだから、もらったも同然です。
 
下は夕飯を食べに行ったレストランでもらったカモNo.です。
 
 東京支店が開店して40周年で、295,888羽目のカモです。
 
1年で8000羽弱。1羽から2食分の肉が取れるので、1年で15000食ということになります。
 
この店は、週5日営業なので、1日60食ですね。
 
ちなみにカモNo.1番は、1921年に皇太子だった昭和天皇が、パリの本店で食べたカモに割り当てられています。東京支店は2番から始まったそうです。
 
カモも美味しかったですが、サービスが最高レベルでした。週5日の営業というのも、しっかり休んで良い仕事をしようということなのでしょう。
 
 
 
 
クリスマスが近づくと、教会などには、キリスト降誕の情景を再現する人形が置かれます。これを英語で「クリブcrib」と呼びます。アシジの聖フランシスが、1223年のクリスマスに始めたものです。
 
私は都内にある聖歌隊で歌っているのですが、そのお御堂に飾られたものです。ここでは「東方の三博士」はいません。 博士たちが到着するのは来年の1月5日の「主の公現」です。
 
博士たちはまだ旅の途中です。この「博士」たちは、ギリシャ語で「マゴイ」、ラテン語でマギ、英語のマジックの語源です。一番後ろの一人は黒人とされています。
このクリスマス物語のメッセージは「イエスの誕生には偉い人は来なかった。」ということです。来たのは貧しい羊飼い、異邦人の星占いでした。王様や、貴族や、ユダヤ教の司祭、金持ちは来ません。イエスが貧しい人、そして異邦人を含めた全世界の救い主であるというメッセージが込められています。このように物語にメッセージを込めた物語を黙示文学というそうです。
 
もっと直接的な表現でメッセージを表して欲しいと私は良く思います。私たちは評論や散文を当然として受け止めていますが、文学の歴史は先ず詩や神話から始まりました。聖書時代の人々にとっての黙示文学による表現の方が一般的だったのでしょう。
 
明晰であることが散文の利点ですが、想像力を喚起することや、心に残るという意味では黙示文学に一日の長があります。クリスマス物語が信者だけでなく多くの人に愛される理由もそこにあります。アダムとイブの物語。ノアの洪水もそうですね。そして最大のものはイエスの十字架上の死でしょう。
 
クリスマスの25日。「平安文学展」を見に丸の内にある静嘉堂美術館に行きました。ここには世界に三つしかない曜変天目茶碗があります。私は茶碗には興味ないのですが、ショップに「天目茶碗のぬいぐるみ」という面妖なものが売ってました。 5800円です。誰が買うのでしょう?
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 

前回は、感動的

 

 

 

 

 

 

 

   Bishop Robert Barron    November 3, 2024
Cycle B   31st wk of Ordinary Time

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

前回は

 

アメリカにロバート・バロンという神父さんがいます。ミネソタ州のWinona–Rochester 教区の司教です。インターネットでの宣教に熱心で、彼のWebsite、 "Words on Fire"(炎の言葉)には1000回分の日曜説教が納められています。ほぼ20年分ですね。残念ながら英語の説教で日本語訳はありません。ただ英語の字幕が見られるので、読むことはできます。

 

バロン司教は、パリ神学院よりトマス・アクイナスの研究で神学博士号を取得している研究者でもあります。説教のなかでも哲学や神学について話題があり、少し難解なこともあります。Facebookで300万人、Youtubeでも140万人のフォロワーを持っており、多少難しくても、分かりやすく感動的な説教です。

 

日本ではあまり知られていない人なので、紹介を兼ねてバロン司教の説教の要旨を纏めてみます。今日は、あまりアカデミックではないものを選びました。

 

まず、バロン司教の説教を聞いてみましょう。

 

画面の右端にある⚙歯車をを操作すると、英語の字幕を出すことができます。また英語が早すぎる場合には、再生速度を遅くすることもできます。

 

2023年11月26日 ガザでの戦いが始まって1カ月後のミサでの説教です。

A年 第34主日 王であるキリスト

以下は、説教の要約です。

 

この「王であるキリスト」という祝日は20世紀に制定されたものだが、20世紀は全体主義が台頭した時代であり、「真の王はキリストだけ」という考えで始まった祝日。 


 ①エゼキエル書 34章 2-12 15-17

 

エゼキエルはバビロン捕囚が起きた頃の祭司。イスラエルは、諸国民を一致させ、神への祈りを先導すべき国なのに、国家は滅び寺院は崩壊した。これはイスラエルの牧者となるべきリーダーの過ちであると主は言う。

 

「2わざわいなるかな、自分自身を養うイスラエルの牧者。牧者は群れを養うべき者ではないか。ところが、あなたがたは肥えた肉を食べ、毛織物をまとい、肥えたものをほふるが、群れを養わない。あなたがたは弱った者を強くせず、病んでいる者をいやさず、傷ついた者を守らず、迷い出た者を引き返らせず、うせた者を尋ねず、彼らを手荒く、きびしく治めている。」

 

神はイスラエルの罪を咎めている。


  「10主なる神はこう言われる、見よ、わたしはイスラエルの牧者らの敵となり、わたしの羊を彼らの手から取り求め、彼らにわたしの群れを養うことをやめさせ、再び牧者自身を養わせない。またわが羊を彼らの口から救って、彼らの食物にさせない。」

 

次の部分は、旧約聖書で最も大切な言葉であると、バロンは言う。

 

「11見よ、わたしは、みずからわが羊を尋ねて、これを捜し出す。わたしは彼らをもろもろの民の中から導き出し、もろもろの国から集めて、彼らの国に携え入れ、イスラエルの山の上、泉のほとり、また国のうちの人の住むすべての所でこれを養う。」 

 

神は、神の言葉を伝えるものとしてイスラエルを選んだが、もはやイスラエルは諸国民の牧者ではない。神自身が散らされた羊のためにやってくるという預言。この言葉を理解せずに、新約聖書を理解することはできない。イエスは、イザヤやエレミアに連なる預言者ではない。エゼキエルの「神自身が民を救うために来る」という預言を成就させるため、悪い羊飼いイスラエルに替って、良い牧者イエスが羊たちを救いに来る。


  「20わたしは肥えた羊と、やせた羊との間をさばく。21 あなたがたは、わきと肩とをもって押し、角をもって、すべて弱い者を突き、ついに彼らを外に追い散らした。

それゆえ、わたしはわが群れを助けて、再びかすめさせず、羊と羊との間をさばく。 わたしは彼らの上にひとりの牧者を立てる。すなわちわがしもべダビデである。」


  ヘブライ人の手紙13-20「永遠の契約の血による羊の大牧者、わたしたちの主イエスを、死人の中から引き上げられた平和の神が、21 イエス・キリストによって、みこころにかなうことをわたしたちにして下さり、あなたがたが御旨を行うために、すべての良きものを備えて下さるようにこい願う。」


  復活したキリストは12使徒に、全世界に行って福音を宣べ伝えるよう命じた。これが教会。私たちも牧者となって福音を宣べ伝えなければならない。教会はこの使命を担っている。


  キリストが王である。イスラエルの悪い王を取り除かれ、イエスが私たちの王となった。私たちは王に仕えるものである。


  キリストは羊と山羊を分けるという。ここで今日の福音書を聞こう。

 

マタイ25章「31人の子は、栄光に輝いて天使たちを皆従えて来るとき、その栄光の座に着く。」「35王は言う。わたしの父に祝福された人たち、お前たちは、わたしが飢えていたときに食べさせ、のどが渇いていたときに飲ませてくれた。最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。」

 

「飢えていたときに食べさせ、のどが渇いていたときに飲ませ、旅をしていたときに宿を貸し、裸のときに着せ、病気のときに見舞い、牢にいたときに訪ねる」 これが私たちに与えられた仕事。私たちが王であるキリストに従うためにすること。

 

 一日の終わりに、 「私は、王の命令に従っただろうか」「今日、私の前を食べ物に飢えた人を通っただろうか。優しさに飢えた人はいただろうか。私は、王であるキリストの召使として振舞っただろうか?」
  

神の祝福がありますように。
  
  

 

 

このブログを書いていて、ゾロアスター教が2回出てきました。

 

一回は、この世の終わりにあるというイエスの再臨と、56億7千年後にあるという弥勒菩薩の降臨。この二つが似ているのは、共にゾロアスター教の終末論の影響によるものというお話。

 

二回目は、弥勒(ミロク)菩薩の起源はゾロアスター教のミトラ。ミトラは西に渡ってローマ帝国では太陽神に商売替えして「太陽神ミトラ」となった。ミトラのお祭りが冬至の後の12月25日でクリスマスはここから来ているというお話。

 

このゾロアスター教、私はほとんど知りません。wikiを見ると紀元前6世紀から、紀元後7世紀にかけてペルシャで勢力のあった宗教のようです。

 

私はいままで、ゾロアスター教徒に2回だけ会ったというか見かけたことがあります。

 

一回は香港のHappy Valey(跑馬地)で。そのころ私はHappy Valleyの谷の中腹にあるマンションに住んでいました。家の前の急な坂道を降りると目の前に  Zoroastrian Houseという小さな建物が立っていました。いつもは人気がないのですが、一度だけ中からインド人が出てきたのを見ました。彼はゾロアスター教徒でしょう。

 

Happy Valey(跑馬地)と書きましたが、「跑」とは「走る」という意味で、文字通り「馬が走る土地」、つまり競馬場がありました。ここのJocky Clubの会員は、香港でも名士とされています。競馬が開かれる水曜日と日曜日の午後には谷いっぱいに歓声が響いていました。カジノのない香港では、賭け事ができるのは競馬だけです。(カジノに行きたければマカオです。) 

 

この谷を囲む斜面の1/4くらいは墓地になっています。マラリアなどで死んだイギリス軍兵士の墓が作られたのが始まりですが、兵士たちはここをHappy Valleyと呼びました。日本人墓地もあり、「唐行きさん」のお墓もあります。唐行きさんとは、主に九州から東南アジアに渡った労働者全てですが、大抵の場合は貧しい家の出身の女性で、売春をするために渡航した人たちを指しま

 

これが唐行きさんのお墓とされています。名前も書いてありません。ここに来ると何だか悲しくて、国を遠く離れた地で死んでいった女の人たちのために祈りました。ここの日本人墓地は一時は荒れ果てていたのですが、香港政庁が整備してくれました。

このHappy Valleyの一角にゾロアスター教徒の墓地があります。下は表札です。Parsee(パルシー)とはペルシャ人という意味です。ゾロアスター教徒がイラン系の人が多かったため、パルシーと呼ばれることが多いです。

 

私はここが大好きで良く散歩したのですが人影を見たことがありません。管理人が時たまといった程度です。墓碑銘を見るとボンベイ(今のムンバイ)から来た人が多いようです。ムンバイには今もゾロアスター寺院があります。ゾロアスター教徒は商業に長けていたので、香港で商売をしていた人もいたのでしょう。何故か、至る所にオレンジの木が植えられています。これは謎です。下の写真ではポインセチアの赤が目立ちますが、写真の上半分に映っているのがオレンジの木です。季節には多くの実がなります。

イギリスは、香港を植民地化するに対して、多くのインド人を連れて来ました。伝統的に、警察官、ガードマン、運転手、ポーターはインド人が多いです。私の住んでいたマンションのガードマンもインド人でした。ある意味、インド人を雇っているのはステイタス・シンボルのようでした。パルシーは教育水準が高いので重宝されたのでしょう。

 

墓地の中央に石造りの神殿がありましたが、飾り気のない石の建物で、その真ん中にに人が寝そべられるくらいの大きさの石のテーブルが据えてありました。この石のテーブルは何に使うのでしょう??

 

もう一回のゾロアスター体験はインドのボンベイです。ゾロアスター教はイランの宗教ですが、イスラム教徒に追い払われて多くの信者がボンベイにいます。私は家内とインドに行ったとき、ムンバイにあるパルシー・レストランに行ったのですが定休日でした。かえって良かったかもしれません。パルシー料理は、火を噴くほど辛いと言います。私は辛いのが苦手で食べるとお腹が痛くなります。家内は激辛が好きです。

 

私がお世話になっているインド人の家を訪ねたところ、家の前で隣の人と出会いました。まだ日本人は珍しかったのか紹介されたのですが、その人がゾロアスター教徒でした。タタ財閥の遠縁とのことでした。

 

インドのパルシーは数は少ないのですが金持ちが多くて、このタタ財閥はインド有数の財閥とされています。パルシーは純血主義で異教徒の改宗を認めません。異教徒と結婚した人はパルシーから離れます。ということで結婚の範囲は狭まるし、近親結婚も多いので子供が生まれなかったりして人口は減少傾向です。世界でも10万から

15万人と言われており、その半分がインドにいます。

 

クイーンのフレディ・マーキュリーがパルシーであることは有名です。指揮者のズービン・メータも。そしてタタ財閥の当主であったラタン・タタ。彼は2024年10月9日に86歳で亡くなりました。生涯独身で子供もいませんでした。遺伝的な理由と言う人もいるようです。これでタタ財閥は跡継ぎがいないので財団となり、一族と関係のない人が経営にあたっています。

 

ムンバイには「沈黙の塔」と言われるパルシーの葬儀のための施設もあります。パルシーは鳥葬であり、死んだ人の体は鳥に食べられて「天に昇る」と考えられています。近年は鷹や鷲と言った鳥が少なくなり鳥葬も難しいようです。犬猫のほかに動物を見かけない香港ではどうしたのでしょうか?

 

香港のパルシー寺院にあった石のテーブルの用途は謎のままです。

 

 

 

先ずは、曲を聞いてみましょう。

The Tallis Scholars sing Victoria's First Lamentation for Maundy Thursday

 

歌っているのは、The Tallis Scholarsというイギリスのアンサンブル・グループで、指揮はPeter Phillipsです。

 

曲は、「エレミアの哀歌」 Lamentation of Jeremiah

 

作曲は、スペインの作曲家、トマス・ルイス・デ・ビクトリア(Tomás Luis de Victoria(1545-1611)  

 

これほど美しい曲は聞いているだけで十分で、余計なこと書くことないのですが。。。

 

15世紀,16世紀のヨーロッパで作られた音楽は「ルネサンス音楽」と呼ばれます。ビクトリアはスペインで活躍したルネッサンス音楽の作曲家です。この時代はまだ楽器が発達していなかったので、人間の声による旋律を幾つも重ね合わせた「多声音楽」と呼ばれる宗教曲です。日本の音楽教育では、バッハより昔の音楽は取り上げられていないので、あまり知られていないのは残念です。

 

この歌は、復活祭(イースター)の直前の木曜日に歌うものとされており、「聖木曜日のエレミヤ哀歌」と呼ばれています。聖木曜日は、イエスが十字架に架けられる前に弟子たちと食事を供にした日ととされています。つまり「最後の晩餐」です。聖週間は、イエスの復活を前に、神への悔い改めをする季節です。

 

次に日本語の詞を掲げます。

 

預言者エレミヤの哀歌の始まりはじまり。

 

1アレフ

どうして民で溢れていた都が独りで座っているのか。 

民族らの女王であった都は未亡人のようになった。

 国々の支配者であった都は奴隷のようになった。 

 

2ベート

都は夜もすがら嘆き泣き、 

彼女の頬を涙が伝う。 

エルサレムよ、汝の主である神のもとへ立ち帰れ。 

 

3 ヴァウ 

全ての栄華は娘シオンから去った。 

都の支配者らは子羊のように弱くなり、 

青草を求めても、見つけることはない。 

彼らは後から来た者に追い立てられ、 

力を失い、都を出て行った。(哀歌1:6) 

エルサレムよ、汝の主である神のもとへ立ち帰れ。

 

4ヨド

都の宝物全てに 

敵はその手を伸ばした。 

都は見た、その至聖所に異民族が侵入するのを。 

さらに、禁じられた者達が 

主の聖堂に立ち入るのを。

 

5カフ 

都の民は皆、パンを求めて嘆いている。 

彼らは生命をつなごうと、 

宝物を手放して食べ物に換える。 

主よ、ご覧になって、心に留めたまえ。 

私はこれほど卑しくなった。

エルサレムよ、汝の主である神のもとへ立ち帰れ。 

 

このように5つの連により作られています。それぞれに、アレフとかベートとかついているのは、ヘブライ文字のアルファベットです。アルフとベートを繋げると、そう、アルファベットになります。

 

この哀歌が作られた時代背景は、バビロンによるエルサレム略奪とバビロン捕囚です。エレミアは「神の言葉を蔑ろにするイスラエルには天罰が下る。神に立ち返れ」と預言しますが、イスラエルの人たちはエレミアに耳を貸すどころか、牢に押し込めます。そしてバビロンがエルサレムを略奪し神殿を破壊しました。イスラエルの人々は遠くバビロンに連れ去られてしまいます。「エレミアの哀歌」とされていますが、作者がエレミアという訳ではありません。

 

「エレミアの哀歌」は廃墟となったエルサレムを嘆き、神への立ち返りを薦めています。「立ち返る」とはラテン語でCoverte・コンヴェルテと言います。コンヴェルテ・コンヴェルテと繰り返されます。野球で、守備のポジションを変えることをコンバートと呼ぶのと同じ言葉です。

 

エレミアが「神に立ち返れ」と言ったのは今から2600年前のことです。今、イスラエルはガザを襲い10数万人の人を殺し、ガザを盗み取ろうとしています。「なんじ盗むなかれ」「なんじ殺すなかれ」「なんじ貪るなかれ」といった神は今でも「立ち返れ」と言っています。そして、私たちに向けても「神に立ち返れ」と語りかけています。

 

ユダヤ人は第二次大戦で悲惨な経験をしました。アウシュビッツから解放されたあるユダヤ人に、西側の新聞記者がインタヴィユーを試みました。

 

記者「大変でしたね。最悪の経験だったでしょう。」

ユダヤ人「大変でした。でも最悪ではありません。」

記者「えっ、あれを越える最悪があるんですか?」

ユダヤ人「アウシュビッツでは私たちは「やられた」側です。これは最悪ではありません。最悪とは私たちが「やる」側にたつことです。

 

いま、ナタニエフのイスラエルは最悪になりました。それを応援しているのが、アメリカの福音教会というキリスト教徒であることを私は嘆きます。