人間は
死ぬとき
愛されたことを思い出すヒトと
愛したことを思い出すヒトとにわかれる
昨日は夜中の2時に目が覚めて、
眠れないので久しぶりに辻仁成の「サヨナライツカ」を読み始めた。
読んでるうちに寝るだろうと思っていたのに
ぐいぐい引き込まれて朝6時前に完読。
読むのは2回目なのに最初より泣いた。
夜通し泣き続けて今日の朝は目がお岩さん・・仕事なのに(泣
1回目より泣けるなんて。
今の心境のほうが何か共鳴できたってことなのか。
愛すること・愛されること
どちらが幸せなのかってずっと考えている。
日に日に深くなっているかも。
私は愛されることが幸せな体質。
だけど、最近愛することに興味がある。
興味があるなんて言い方は変だけど・・
このサヨナライツカの沓子は
たった4ヶ月一緒にいて離れ離れになった人を
忘れられずに死ぬまで愛してしまうことになる。
私はそんなのいや。
でもこの小説はそんな沓子の人生が幸せな人生に見えてしまうの。最後には。
「愛されること」は自分の気持ちじゃないから
ほどほどの安心感というものを得られる。
けど「愛すること」は自分の揺さぶられる気持ちだから
愛されることと比べ物にならないほどの幸せ・思い出・せつなさetcが
波のようにやってくるんだろうな。
私は愛してくれる人をそれなりに愛することはできる。
でもそれはいつも愛してくれてると実感してからの自分のアクション。
自発的に人を愛したことは今までにない。
不可能な気がする。
そんな恋愛の仕方がわからない。
そして何より
コワイ。
いつも人はサヨナラを用意して生きなければならない
孤独はもっとも裏切ることのない友人の一人だと思うほうがよい
どんなに愛されても幸福を信じてはならない
どんなに愛しても決して愛しすぎてはならない
愛なんか季節のようなもの
ただ巡って人生を彩りあきさせないだけのもの
愛なんて口にした瞬間 消えてしまう氷のカケラ
氷のカケラに振り回されたくない。
だけど
全身全霊で人を愛することに憧れるこのごろ。