恋愛でも友情でも
人は人生で一度は喧嘩をしたりして
「関係が壊れる」ということがあります。
その壊れた時。
信用していたあの人に失望した…
あんな奴とは想わなかった…と
そう想う時もあるでしょう。
もちろん、その疑心暗鬼や
怒りも大切なことの一つです。
ただ、人間関係の真髄は
関係が壊れた後に真価が問われると
僕は感じるのです。
何故、人間関係が壊れた時に
人間関係の真価が問われるのか?と言いますと。
多くの人は、
最初は相手に期待や
○○をしてくれたら信用する…という
そんな想いから
人間関係を構築してしまう
傾向があります。
・彼が私を好きならば私は彼を信じよう。
・友人がこうしてくれるなら自分はこうしていこう、など。
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相手が○○してくれるならこうする
この状態を僕は「信用と期待の関係」と定義しております。
ですが。この関係を信用ではなく「信頼の関係」にしたいと想うのならば、一度は関係が壊れる…という道を通ります。
「信用」と「信頼」は何が違うのか?
信用しているとは?
・信用は相手への対価を求めている在り方。
○○してくれたら
見返りに僕はあなたを信じるという在り方/姿勢。
例:期待を裏切られた…
というのは信用の想いですね
一方で信頼とは?
・信頼は相手の本質を観て関わっている在り方。
例:友人は僕と違う道を選んだ。そして僕の中では相容れないことを選択した。だが、友人の人間性の本質を考えると、彼の中にはその道を選択する何かがあったはずだ。
だから例え、僕と違う道を選んだとしても彼を尊重しよう。
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この上記が「信用の在り方」と
「信頼の在り方」の例えになります。
先ほども触れましたが
この信用の在り方から
信頼の在り方へと至る道の多くは
「一度、関係が壊れる」ということが起こります。
その時に自分自身が
相手を信用していたのか?
それとも相手を信頼しているのか?がわかるのです。
そして、自分自身が相手を信用して、
その関係が壊れた時に問われることがあります。
それは~仲違いはしたが
本当に相手は憎むべき悪い人なのか?
相手が本当に憎むべき相手ならば
その関係は終わりを迎えて良し。
相手が本当は信じるに足る
人間力や心根を持っているならば
また関係が動き出す時も来る可能性があります。
それは恋愛でもどんな人間関係でも…です。
また、信用が悪くて
信頼が良い…ということではなく
そして関係の復活が善であるということでもなく。
これらは全て学ぶ道である…と
そう想ってくださいね。
人間関係のご縁という糸の先が
真(まこと)の意味でどうなるのか?
それは神のみぞ知るところですが
そのご縁の中で僕らが唯一出来ることは
自分は相手を信用しているのか?
もしくは相手を信頼しているのか?
これら信用か信頼かを
己の心の中の小さな声がなんと言っているのか?
このポイントを見極めていくことが
人間関係においてとても大切なことなのです。
あなたが敵と想う人や
あなたと疎遠になった人、
あなたの好きな彼は本当に悪なのでしょうか?
この点を、目を閉じて
心の声に耳を澄まして聞いてみてくださいね。
自らの心の声が「相手に関わってはいけない」と言っているならば距離をおき、己の心の声が「相手は善だよ」と伝えてくるのならば、その関係が修復するか否かは一旦、脇におき、そして心を落ち着けて、相手の人となりに想いを馳せてみましょう。
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どんな人間関係においても
相手と関係が壊れたからといって
それであなたの本質や価値が損なわれることはなく
また、貴方が喧嘩した相手を嫌っても、
相手の本質や価値が損なわれることはないのです。
ぜひ、目を閉じて…
自分自身の心の声を聞いてみてくださいね。
その声を拾うことが、人間関係を見極める眼を養うことにも繋がり、やがて真の信頼関係へと繋がりますから。
本日はお読みいただき
誠にありがとうございました。