7月20日
祖父が逝ってしまった
死因は誤嚥性肺炎だったようだ
俺は祖父が45歳の時の初孫で
大変可愛がってもらった
祖父母はまだ若かったし
曽祖父も健在だったので
祖父母をおじちゃん、おばちゃん
って呼んでいた
両親が都内で酒屋を営んでいたので
幼少の頃から栃木の祖父母に預けられていて
俺もおじちゃんが大好きで
どこに行くにも着いて行った
その頃は大工の棟梁だったので
建築現場にもよく行ったし
おじちゃん家の裏の工場も
絶好の遊び場だった
休みの日には
電車が好きだった俺に
一緒に東武電車に乗せてくれた
はじめて東武日光や東武宇都宮まで行ったのも
おじちゃんとだ
還暦の後
おじちゃん家の地域の人々に推されて
町議会議員を3期務め
地域の発展に力を注いでいた
その頃俺が高校卒業後すぐ
父が亡くなった
酒屋の主人だった父を失った我が家に
連日泊まり込み
用事がある時だけ栃木に帰る生活
うちの母や俺、兄弟の生活の立て直しに
手を貸してくれた
残念ながら
時代の波に逆らえず
実家の酒屋もコンビニにしたが好転せず
閉店することになった
俺や兄弟はそれぞれ独立したので
母は栃木のじいちゃん家に戻った
それから暫くして
母の弟、そしておばちゃんが逝き
母とおじちゃん、そして犬のシオンとの
暮らしになって平穏に過ごしていた
曽祖父も103歳まで長生きしてたし
おじちゃんも元気そうだったので
100歳は達成すると思っていたのだけど
この夏2度目の東京五輪の
直前に逝ってしまった
お世話になりっぱなしで
何一つ恩返しできなかった
おじちゃんありがとう
今はただ冥福を祈って 合掌