冷房のスイッチを切ったのは何日振りだろうか。
 
今日の東京は、正午近くから空が騒がしくなっている。
 
 
仕事が休みだったので
家で大好きな映画『ショーシャンクの空に』を鑑賞していた。
 
ちょうど、あの脱獄のシーンで雷が鳴りだした。
なんという偶然だろうと思いワクワクした。
 
しかし、我が愛しのインコたちが怯えて啼き出したので
CDプレイヤーでオルゴールのBGMをかけ、わたしはイヤホンで映画に見入った。
イヤホン越しでもわかる雷鳴だった。
 
気温は一気に5度くらい下がり
久しぶりにエアコンを切って窓を開けてみた。
 
雨は上がっていた。
空は曇っていた。
だが、久しぶりに曇り空を見て
「これはこれで心地よい」と思ってしまった。
 
 
 
 
私は、もともと冬より夏が好きだった。
暑いことは、寒さよりも耐えられる。
 
ただ、ここ数年で少しずつ体質の変化が起きている。
汗の量が尋常じゃない。
体臭も変わって来た。
もともと自分には体臭は無いと思っていた。
ところがどうだ、今は毎日、自分の匂いが嫌でたまらない。

汗をかかなければよいのだろうが、出てきてしまう。

ホットフラッシュというそうだ。

手足や顔が急に火照り…かと思うと、急激に冷たくなったりもする。

 
 
先日、医者に言われたのが
「プレ更年期」ということだった。
更年期がそろそろ始まるという。
 
40歳なら早い気もするか?
いいや、これはもう7年前から覚悟していたことだった。
 
 
33歳で、結婚前の「ウエディング検診」なるものを受けた際
医者から言われたのが
 
「三橋さん、卵子がもう残りわずかですね。自然妊娠の可能性はほぼゼロ。子宮環境は、閉経前の女性と同じくらいです」という衝撃的な言葉だった。
 
もう少し、医学用語を混ぜながら、具体的に数値を挙げて説明されたが
頭が真っ白になって記憶がない。
 
診断書のほかに不妊治療ができる近隣の病院の名前を書いた紙を渡された。
その紙を握りしめて
町屋の病院から、西日暮里の自宅まで
藍染通りを、人目も気にせず大泣きしながら帰って来たことだけ覚えている。
自転車を立ちこぎで帰って来たのだけ、妙に覚えている。
 
仕事中だった彼(今の夫)に
泣きながら電話をして、「あなたの子どもは産めないから、別れてほしい」と告げた。
 
若いときに子宮の病気をほったらかしにしておいたからかとか、
ホルモン治療をしてしまったからそれで卵子が無いのか…
と、自分を責めて、5つのクリニックで不妊治療を受ける相談をしたが
 
どの医者も
 
「ホルモン治療は関係ないと思う。卵子というのは、胎児のころからに子宮にあって、おぎゃあと生まれたときに何千個が無くなる。そこから、少しずつ、徐々に減っていく。逆に、生理が無かった時期があるなら、卵子はキープされているはず…卵子にとって一番よくないのはストレスだ。
 
子どもの頃に激しいストレスを受けると、卵子が減るのが早いという事は言われている。」
 
……と説明を受けた。
 
 
卵子が無いのは自分のせいではないんだ
子どもの頃に受けたストレスのせいなのだ、と。
 
そういう事にしなければ、気が狂いそうだった。
 
 
私は、子どもを「産みたい」と思ったことは一度だってない。
 
子どもの頃から、「家族」という存在に疑問を抱いていたのだ。
 
「愛されていない」と思っていた人間だ。
 
また、自分の「性」も否定してきたので
 
自分が「妊娠」「出産」を望むことなんて、後にも先にも無いと思っていた。
 
 
ただ、私はプライドが高かった。
 
他人が出来て、自分ができない事が許せない人間だった。
 
普通、女は結婚したら、子を産むらしい。
 
それが女の役割なんだそうだ。
 
私自身は全く望んでいない事だったが
それを相手方の親は望んでいた。
 
旦那は、「別に子供が欲しくて結婚するわけじゃないから、どっちでもいい」と言ってくれていたが…
 
旦那の親は、期待していた。
 
ましてや、一人っ子の息子の嫁だもの。
「産まない」選択肢は無いのだろうと思った。
 
 
そこから、先、
 
私は自分に「期待」することを、一切辞めた。
 
自分がどう生きたいかではなく
どう生きたら、相手に嫌われないかをひたすら考えるようになった。
 
 
結局、子どもは産めなかった。
 
 
今は、それでよかったのだと思う。
 
 
 
 
紙芝居屋をはじめて
 
「子どもの心理」を理解しなくてはならないと思って
 
3年前から小学校の放課後スクール(小学校の中で子どもを見る学童みたいなもの)
の仕事に就いた。
 
 
子どもが好きなのか?
 
と聞かれることがある。
 
 
子どもが「好き」
 
 
 
そんな言葉ではまとめられないくらいだ。
 
 
 
 
子どもが「趣味」なのである。
 
 
 
 
なんだか気持ち悪がられてしまうかもしれないけれど
 
子どもの一挙手一投足、宝石箱のような輝いた自由な発想に
 
大人はかなわない。教えてもらうことがたくさんある。
 
子どもは、大変〝興味深い〟のだ。
 
 
いわば、研究対象 だ。
 
 
 
 
そして、子どもを見て
自分を振り返ったりもする。
 
 
 
 
束の間だけど、子どもたちは私に「生きる楽しさ」を教えてくれる。
 
 
 
 
 
 
 
彼ら、彼女らの中には
 
 
「実の親」と一緒に暮らせないこどももいるが
 
 
そんな子たちにも「家族」がいる。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「夏休みはね、お母さんと会うんだ。
千葉の海に行くんだよ」
 
 
 
 
そんな話をしている時
決まって子どもは、幸せそうな目をしている。
 
 
 
 
 
 
 
子どもはみんな
 
 
 
お母さんが大好きなのだ
 
お父さんが大好きなのだ
 
 
 
 
親から
 
 
 
 
大好きだよと
 
 
 
あなたは大事な宝物よと
 
 
 
 
 
認めてもらうため
 
 
 
 
 
みんな、必死で生きている。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
先日、「ごんぎつね」の生みの親
 
新美南吉さんが、生誕110年を迎えたので
 
彼の故郷の愛知県半田市へ行ってきた。
 
 
 
 
 
 
 
 
8月7日は七夕なので
 
 
 
彼の作品「おぢいさんのランプ」になぞらえて
 
 
ランプ型の短冊に、私も願い事をしてきた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
5分考えて、この願い事しか出てこなかった。
 
 
数年前までこんなことは書かなかった。
 
私利私欲的なこと。受け狙い。
 
もしくは「紙芝居が流行りますように」程度のものしか書かなかった。
 
 
 
 
 
 
 
この日、真剣に「願い事」を考えて考えて考えて…
 
 
 
出たのがこれだった。
 
 
 
 
 
 
 
世界平和。
 
 
 
 
 
戦争だけじゃない。
 
 
 
 
 
 
「平和」の言葉が持つ意味は
 
 
 
もっと、深くて広い。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
子どもたちが、この夏
 
 
未来を生きる希望になる、素敵な経験ができますように。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
取材と称して
 
 
 
奮発してスイカを買った。
 
 
 
 
 
 
 
まだ、夏は終わらない。
 
 
 
 
 
 
さて、わたしは何をして生きるか。
 
 
 
 
 
 
あの、話題の映画でも観に行くか……。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
とら