今年も間もなく確定申告の時期になる。


2月になると、本棚から、昔の手帳を引っ張り出して
「自分はちゃんと、目標に向かってやってこられてるだろうか?」と自問自答することが
毎年の恒例である。

2014年の手帳には以下のようなことが書いてあった。





〖荒川区が大好き、このまちを、昔とかわらぬ人情のまち、子供がのびのび元気にあそべるまちへ


荒川区へひっこします。
「しあさって」〗






2014年4月、私は
旭川から東京に帰ってきた。



ちなみに、この月の手帳は
真っ白だった。



東京に帰ってきたその日

私はまず向かったのが

上野の下町風俗資料館だった。


梅田佳声さんに
お会いしたかった。


六花亭で購入した
四千円ぐらいのお菓子の詰め合わせを持参した覚えがある。



今から考えると

その数年後
佳声師匠の代わりに

下町風俗資料館の専属紙芝居屋さんに
任命されることになるとは……

夢にも思ってもみなかった。



(この頃、旭川にまだアパートを借りていて
浅草の3畳一間のシェアハウスと
旭川を往復する生活だった。

ストレスと貧困で、心臓が毎日痛くて
体重も、今より15キロ痩せていた

始発から終電までアルバイトを掛け持ちしていた。辛かったけど、楽しかったなぁ)





◇ ◇ ◇






……ところで……




私は、ずっとやろうとしていたことがある。


荒川区役所へも事業企画を持っていって
許可ももらう直前までいったが
コロナウイルスが蔓延して
NGとなった企画だ。





荒川区の公園に
紙芝居屋を復活させたい






  
ただし、イロイロと問題がある。

…いや、イロイロと問題……というより

 

例によって

私の理想、こだわり


が明確にあるので

なかなか実行に至らずに

今日まで来てしまった。






わたしには

荒川区の公園で紙芝居をやるなら
こうあるべきだ
 
絶対に譲れないものがある。



それは

『当たり前のようにそこに存在している』

ということ。

『今までもずっとあったかのように
そして、誰にも迷惑にならず
誰に怒られもせず、ほめられもせず
町の風景に溶け込んで
電信柱のように、ただそこにいる。』

ということ。






…… ここまで書いてみて


あの人 が、似たようなこと言っていたなぁと

ふと思い出した。












「雨ニモマケズ」のそれだ。













(あの人…↑)







……まあ、賢さんを語るほど
私は賢さんに精通していないから
ここで止めとくけども。




でも、理想はあれなのだ。






『雨ニモマケズ』の感覚が

これまで、あまりよくわかってなかったけど

今なら半分ぐらいは理解できる気がする



私はこれまで
欲まみれだったし
人を羨んだり
妬んだりもしたし
お金も欲しかったし
名誉も欲しかった

紙芝居だって

どんだけ稼げるか


ということに重きをおいていた。





でもコロナを経験して

なにか、かわった。

自分の中で

焦らなくなった。

投げ銭が入らなくても

前みたいに落ち込んだりしなくなった。


それよりも

その日に、紙芝居を見てくださったかた
知り合ったかたとの
ご縁で、ホクホクしたこころもちに
なるようになった。


これは数年前では
考えられなかったことだ。






話が少し
横道にそれたが

私の今年の目標が決まった。



3年前からあたためてきたことを
少しブラッシュアップして


実行に移していこうと思う。



その紙芝居は、

「イベント」のようなものではないのだ。

華やかさはいらない。

賑やかさもいらない。




「自然にそこに、当たり前のように存在する」


ということ。



これだけでよい。




足を止めてくれた人
声をかけてくれた人に

目を合わせて話しかける。


これは、人見知りのわたしには

かなり難しい課題だが

もう大丈夫。

紙芝居も12年やっていると

こういうことが
自然とできるようになったのだ。



さて、理想はこうだ。



紙芝居屋さんが
かつての昭和時代のように
普通に存在して
普通にいる

そんな荒川区を取り戻す。


取り戻す。
っていうのはちょっと違うか。

そんな荒川区を
また、新しくつくってみる。


理想的なのは、

町の人たちが
「あ~、ハイハイ、今日もいるのねニコニコ
って、なんか自然に理解してくれてて

ときどき遊びに来た孫たちと
遊びに来てくれる。



公園のハトにパンくずをやるおじさんがいるように

買い物ついでに立ち話してるおばちゃんがいるように

本屋で立ち読みしてる学生さんがいるように



当たり前で
別に気にならないような
そんな存在になっていいたい。




下町の風景に
溶け込むぐらい
存在感の無い

そんな紙芝居屋になりたい。


ショー的なことはしない。
投げ銭口上もない。
駄菓子もやらない。
大馬力の拡声器(マイク)も使わない。

もしかしたら
紙芝居もやらなくていいのかもしれない。


そして


これはもう決定事項なんだけど



その場所は

私の自宅から
徒歩で行ける、商店街の中にある公園なのだ。

そこからは、私の職場の小学校の校庭からも見えて

こどもたちもみんな、顔見知りなのだ。















彼らの中には

「ちょっと発達に問題がある子」

と、呼ばれている子達もいる。






病院に行くと
必ずつけられてしまう
昔にはなかった病名。



私も、もちろんそれに当てはまる。



多分、私の母も、母方の祖母もそうなのだ。





だが私は知っている。

そういう子達は

なにも、問題がないのだということを。




あの子達と一緒に
紙芝居をやったら
どんなに楽しいだろう。





私はもう、ムズムズしている。






多分、早ければ
来月には
実現すると思う。

面倒くさいことは
後からだ。

今は、とにかく
動く。

決めた。

動くのだ。





わたしは


あの日のトキメキが
ずっと頭から
離れない。




(プライバシー保護で笑顔がお見せできないのが残念です)



とら