3/10の「ぱんだナイトvol.3」の翌日

札幌へ入りました。


3/12は「カミシバイズム」紙芝居作り

3/13は「小樽・樽BOOK」さんで紙芝居講習会をさせていただきました。


怒涛の1週間でした。







まずは




毎月10日は"ぱんだ"の日‼️



でお馴染み(?)、ぱんだナイトを

ご観覧いただいたお客様

誠にありがとうございました!!!





(お写真はツナまさきさんからいただきました)



ゲストの梅ちゃん




とーきょーぱんだ




もはや、劇中で「とらちゃん」と呼ばれても普通に「はい!」と、返事していました(笑)



別人

という設定ですが…

もう、面倒くさいからいいですね。


とーきょーぱんだの中の人は
とらです。
驚かせてしまってすみません驚き無気力








上野明美さん、
ご登壇ありがとうございました!!!(笑)




次回(4/10)は旭川からです!

お楽しみに~ニコニコ飛び出すハート











さてさて

そして、北海道には何をしに言ったかと言いますと





札幌発!!!

「北の紙芝居集団 カミシバイズム

の紙芝居作りワークショップがあり
そこに参加してきました!!!



平島さん(左)と やこしんじ(右)さん



カミシバイズムの特徴として、面白いのは

絵描きさんの集団

ということ。




もちろん、平島さんのように『実演者』もいますが、メンバーのほとんどが
プロの絵描きさんやデザイナーさん、美術の先生など、絵のプロです。


そんな方々が、

紙芝居を作って、年に数回、発表会をされています。



三橋は、2012年~2年間ほど旭川に住んでおり
ました。


北海道には縁があり
カミシバイズムの立ち上げにも少しだけ、関わらせていただいたりしていました。






↑YouTubeにもあげた動画ですが

この『とりかえっ子』という紙芝居を作られたのが

カミシバイズム代表の 吉川聡子さんです。


吉川さんのことは
なかなかブログに書けずにいましたが

昨年の6月、ご闘病の末
未知の世界に旅立たれました。



吉川さんとの話しは
ここで書いても長々なって
伝わらないと思うので割愛しますが

わたしの紙芝居人生は

吉川聡子さんとの出会いで
一気に面白くなった!!!!

…といっても過言ではありません。


松浦武四郎のお話しも、吉川さんがアドバイスをくれなかったら描きあげられませんでした。



昨年、義母についで、吉川さんが
いなくなってしまい

夏頃から、とてもとても
気持ちが落ち込むようになってしまいました。

そして、秋にかけてついに精神的に参ってしまい鬱病の薬を飲んだり、医者に行ってカウンセリングにかかっていました。


紙芝居も読めなくなり
人前に出ると声が震え
涙が止まらないので
仕事もお休みしてずっと家にいました。







そして、昨年10月に
北海道小樽と余市で紙芝居に呼んでいただいていましたが

どうしても気持ちが落ち込み
人前で笑えなくなってしまい
はじめて、紙芝居の御依頼をキャンセルしてしまいました。


同時期には、荒川区からいただいた
大きな紙芝居の製作依頼も
予算がついていたのに、キャンセルをしてしまいました。




…そこから、いまでも
わたしは、ずっとおかしいです。





今もまだ、気を抜くとおかしくなってしまいます。





なにか、気持ちが変わらないと
ダメになってしまうかもしれないなぁと思って



今回、北海道に来てみました。






家にいても

夫に当たってしまい

こんな私はダメだから
早く離婚してくれと

泣いたりするのです。



だから、北海道に来ました。






結果、来てよかったと思いました。










小樽で、絵本読み聞かせサークルをはじめ
いろんなことを精力的にされている中川さんに

紙芝居の講習会の合間に
人生相談に乗っていただきました。



(北一ホール)





(昨夜、『ワオキツネザル』というお店で紙芝居をさせていただきました。写真左下が中川さん)





(小樽運河)




中川さんに、相談した内容は
ざっくり言って、こうです。



「わたしは今、
紙芝居をやめようと思っています。


もうこれはずっとで、
前々から書いたり言ったりしていますが
紙芝居をやるのが辛いのです…。



でも、紙芝居は好きなのです。

紙芝居をやっていることで
しらない人と繋がれたり
私の居場所があるように感じています。




だけど
やっぱり、紙芝居をやるのが辛いのです。





だから
やめようと思っています」



と、中川さんにお話ししました。







中川さんは



『今、決めなくてもいいんじゃない?』




と、言ってくださいました。






とらちゃんが、とらちゃんで紙芝居をやれないと思ったらやらなくてもいい


やれると思ったとき、やりたいと思ったときには、やればいいよ。




と。














そうだ、そうだ。
まだ、やめるか続けるかは決めなくてもいい。



でも、なんとなくこんな予感はするんだ。



三橋とらとして、もう「商業紙芝居」をやるのは限界。


商業紙芝居っていうのは
『ショー』として、お金をもらって、見せ物としてやる紙芝居ってこと。

おまつりとか、大会とか、
賑やかしとか…



『お客さんが笑いや楽しさを求めている現場』に呼ばれるのは、今も昔も本当に苦痛で辛かった。


それが最近、如実に出てしまってる。




紙芝居をやる前から
苦手だった「人に楽しんでもらう(笑ってもらう)エンターテイメントを考える」ということ

やっぱり、私はそれが苦痛でしょうがない。


人が笑っているのを見ても

辛くなるだけで。


もともと、ネクラなのもあるけど

やっぱり、私は新美南吉みたいに

「悲哀」のストーリィが好きで。


それが求められていない現場には、いけない。
いきたくない。




最近、
コロナに加わって
戦時中 に突入し

紙芝居には
「笑い」が求められているという気がする。


だからかな。

私には荷が重い。





面白い紙芝居を見るのはいいんだけど

自分がそれを求められると、一気に辛くなる。

深い海の底にいるような
息のできない感覚になる。



やっぱり私は、『暗』くていいのだ。




もう、今後、『とら』としての「イベント」はやれないかもしれないし、呼ばれても、たぶんお断りすると思う。


もちろんこの

「とららしさ」の紙芝居を求めていただいているのなら喜んで参上するけど

エンタメ全開の紙芝居には
きっともう、参加しない。






さて、

私は今後を


どう生きるかな。




課題だ。





とら