「育児は育自」
という言葉を私は全面的に支持しています。
結婚前、子どもが苦手でした。
うるさいし、汚いし、すぐ泣くし…
とにかくどう接していいのか分からず、自分が子どもという年齢を越したあたりには苦手でした。
今思えば、子どもそのものではなく、「自分の子どもが迷惑をかけていても知らん顔している親の子ども」が苦手だったのですが、それは自分が子どもを授かってから気がついたことです。
結婚を決めた相手が、
「家族でカルテット希望!子どもは4人は欲しい」
というような男だったので、結婚して子どもを…という事には特に疑問もありませんでした。
そして、不妊治療を経て授かった一人目の妊娠時。
どうやら体質的に妊娠が合わない私は、気分が沈む長い安静生活を送りました。
胎動を感じる頃には、その小さな命が消えてしまわないかという不安に浸かりながら安静にしていました。
そして、いざ出産の時。
普段の私からは考えられないくらい、びびりました。
まるで、先の見えないジェットコースターに乗っているかのような感覚。
暗記しちゃうくらいに予習していたというのに、何やら不測の事態が起きるという状況。
そして、隣で眠りこける夫(!!)。
そして、無事に産声を聞いたときの「やりとげた」感。
お腹にいた、この小さくてふにゃふにゃして頼りなさげな存在と、まさに二人三脚でゴールした!という達成感。
(もちろん、助産師さんや、看護師さん、医師の存在は大きいです。そして、励ましてくれた母や、夫、大勢の人たち)
妊娠期間と出産を経験する間に、すでに「育自」は始まっていたようでした。
他所の子どもをみかけては、お腹にいる子どもと重ねて自然と関われるようになれていたし、もう「苦手」という意識はなかったような覚えがあります。
そして、次男、三男と授かる頃にはすっかり
「かあちゃん」
と呼ばれる存在に。
(体もだけど)成長したもんだなーと自分で思います。
出産をしない人生を選んでも、楽しく過ごしていたと思う私ですが、出産というものを経験し、子どもと過ごすということを現在進行形でしている今、人とのご縁も、考えも、この立派な体も(!)、私をとりまく全てのものを子どもが運んでくれたような気がします。
楽なことばかりじゃないし、むしろしんどいことが多い。
体も、心もけっこうギリギリの時が多いけど、たまにもらえる子どもからの笑顔とか、「ありがとう」というご褒美が、次へ、次へと歩けるようにしてくれるのが「育児」であり、「育自」だなーと思います。
出産していなくても、子どもと関わっていると大人の目線では見られないものを見せてくれたり、気がつかせてくれたり…
やっぱりそれも「育児」で「育自」だと思うのです。
私の子どもたちに関わってくださる全ての方に、感謝!
という気持ちも、子どもが運んでくれました。
感謝の気持ちが、子どもからの一番の贈り物なのかもしれません。