香川県さぬき市志度に伝わる悲しい伝説です。

四国霊場第八十六番札所の志度寺の縁起の一つと伝えられ、

境内には海女の墓とされる五輪塔が建っているそうです。

 

時は千三百余年前、天智天皇のころ。唐に嫁いだ藤原鎌足の娘白光は亡き父の供養物として数々の宝物を兄の藤原不比等に届けようとしました。ところが、宝物を積んだ船が志度の浦にさしかかったとたん嵐が起こり、中国に二つとなき宝物「面向不背の玉」が龍神に奪われてしまったのです。

 

不比等はこの玉を取り戻そうと、身分を隠して志度の浦へやってきました。ここで漁師の娘であった海女と恋に落ちたのです。”房前”という男の子も授かり親子三人で幸せに暮らしていましたが、不比等は数年後素性を明かし、玉の奪還を海女に頼んだのです。海女は「私が玉を取り返してきましょう。その代わり、房前を藤原家の跡取りにすることを約束してください。」と言い、玉を取り返すべく龍宮に向かったのです。

 

海上で待つことしばし。海女の合図で命綱をたぐった不比等の前に現れたのは、龍に手足を食いちぎられた見るも無惨な海女の姿でした。海女は間もなく、不比等に抱かれたまま果ててしまいました。しかし、玉は海女の命に代えて十字に切った乳房の中に隠されていたのです。

 

 

伝説は能の演目“海人(あま)”になったり、歌川国芳により“龍宮玉取姫”が描かれたことで

広く世に知られるようになったようです。

 
下矢印歌川国芳“龍宮玉取姫之図”

国芳の描いた玉取姫なる絵は私はあまり好きになれません。

決死の覚悟で玉を取り返しに向かった海女に“姫”という表現は似合わないと思いますし、

追手として龍の他に多くの龍宮の民が描かれ、何かコミカルな印象を受けてしまうからです。

ただ、海女の勇敢さは伝わってきますので、そこだけは評価したいと思います。

 

下矢印群馬県桐生市の八幡宮

私がこの彫刻を初めて見たのはここでした。

帰ってから調べてみて“海女の玉取伝説”であることを知り、大変な衝撃を受けました。

劣化が酷いのが大変残念なところではありますが、覆屋はつい最近修復されたようで、

決して放置されていないことを知り、とても嬉しく思いました😊

彫刻の修復には大変なお金が掛かるでしょうが、期待して待ちたいと思います。

 

下矢印栃木県佐野市の丸嶽山神社

こちらは胴羽目三面全てを使って表現されていました。

左側には玉を取り返した海女の姿。

 

下矢印背面には海女を追う龍

 

下矢印奪われた面向不背の玉が祀られていた龍宮の宝塔

 

下矢印栃木県佐野市の金山神社

背面の彫刻は、追いかけてきた龍と戦っている海女。

 

下矢印右側は命綱を持つ人々が乗る船。

 

下矢印左側は中央上に龍宮の王らしき方がいて、他も龍宮の民のようですが、、、

玉取伝説に関係しているのかどうか、ちょっとわかりません😅

 

下矢印茨城県結城市の貴布禰神社

こちらの彫刻、とても分かりづらくてすみません<(_ _)>

中央に海女、海女の上に龍、海女の左に命綱を持つ人々、右側に宝塔が彫られています。

 

下矢印主役の海女を拡大してみました😅

 

下矢印栃木県小山市の山田神社

海女と龍と宝塔が彫られていました。

 

下矢印栃木県鹿沼市の天満宮

胴羽目ではありませんでしたが、とても素晴らしい彫刻でした。

 

下矢印埼玉県秩父郡横瀬町の法長寺

住職さんにお願いしてみましたが断られてしまい、仕方なく網戸越しに撮影しました😢

分かりづらい画像ですみません<(_ _)>

 

下矢印上の彫刻の右側に宝塔と龍宮の民が彫られていました。

左側には命綱を持つ人々が彫られていましたが、網戸にピントが合ってしまっていました😢

 

 

記事を書くに当たって参考にした四国新聞ニュースサイトにはこう書かれています。

不比等、房前らの登場人物、どの方向からでも釈迦の姿を拝むことが出来る面向不背の玉も実在している。

ただし、悲しき主人公である海女と物語は作り話。

 

私は何だか納得がいかず、実は伝説は脚色されたものなのではないかと考えました。

龍やら龍宮やらが出てくる時点で、いかにも作り話という感じになってしまっていますが、

藤原氏の力か?何か大きな力が働き、捻じ曲げられてしまったのではないかと。

私の全く勝手な想像は以下の通りです😅

 

志度の浦にさしかかったとたん起こった嵐により、面向不背の玉は深い海底に沈んでしまったのです。

 

身分を隠して志度の浦で漁師の娘であった海女と恋に落ちた不比等は房前という男の子も授かり親子三人で幸せに暮らしていましたが、数年後素性を明かし、玉の引き上げを海女に頼んだのです。海女は「私が玉を取ってきましょう。その代わり、房前を藤原家の跡取りにすることを約束してください。」と言い、玉を引き上げるべく深い海の底へ向かったのです。

 

海女は玉の沈んだ海は、とても海底まで行って戻って来られるような深さではないこと知っていました。それでも潜り、海底で必死の探索をして何とか玉を見付けることが出来たのです。しかし海女は既に海上まで生きて戻れないことを知っていました。そこで玉を落とさないように乳房の下を十字に切って玉を納めました。海女の合図で命綱をたぐった不比等の前に現れたのは、既に息絶えた海女の姿でした。しかし、玉は海女の命に代えて十字に切った乳房の中に隠されていたのです。

 

こんなことが本当にあったとしたら、そりゃあ必死で隠そうとしますよね😅

でも志度寺に海女のお墓があったり、能の演目として世に広く知られたのは、

みんな本当は真実を知りながら声を上げることは出来ず、

それでも海女の勇敢さを称えたかったからなのでは?などとまで考えてみました😅

 

長々と書いてしまいましたが、、、私にとって“玉取伝説”があまりに衝撃的だった故です。

お付き合いいただきありがとうございます。そしてすみません<(_ _)>

 

いつか海女のお墓にお参りしてみたいと思っている私なのです😅

 

 

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