この辺りに四社あると聞いていた宇都宮神社

こちらが四社めです!なぜかここだけ情報なしだったので最後になりました。

 

下矢印両側には人家がありますが、ちゃんと参道は残っています。

 

下矢印拝殿

こちらも昭和後期頃に建て替えられたものでしょうか?

お賽銭箱の横にはおみくじも置かれていました。

 

下矢印拝殿内部

 

下矢印彫刻があることに期待しつつ、本殿の方に向かいます。

 

下矢印おお~!ありました~爆  笑

情報なしの神社に彫刻があるとかなり嬉しいです音譜

 

下矢印彫刻は中国の二十四孝で統一されていました。

 

右側は楊香(ようこう)

楊香(ようこう)には一人の父がいた。ある時父と山に行った際に虎が躍り出て、今にも2人を食べようとした。楊香は虎が去るように願ったが叶わないと知ると、父が食べられないように「天の神よ、どうか私だけを食べて、父は助けて下さいませ」と懸命に願ったところ、それまで猛り狂っていた虎が尻尾を巻いて逃げてしまい、父子共に命が助かった。

 

下矢印背面は舜(しゅん)

舜(しゅん)は大変孝行な人であった。父の名前は瞽叟と言い頑固者で、母はひねくれ者、弟は奢った能無しであったが、舜はひたすら孝行を続けた。舜が田を耕しに行くと、象が現れて田を耕し、鳥が来て田の草を取り、耕すのを助けた。その時の天子を堯と言った。堯は舜の孝行な心に感心し、娘を娶らせ天子の座を舜に譲った。これも孝行の心が起こしたことである。

 

下矢印左側は郭巨(かくきょ)

郭巨(かくきょ)の家は貧しかったが、母と妻を養っていた。妻に子供が産まれ、3歳になった。郭巨の母は孫を可愛がり、自分の少ない食事を分け与えていた。郭巨が妻に言うには「我が家は貧しく母の食事さえも足りないのに、孫に分けていてはとても無理だ。夫婦であれば子供はまた授かるだろうが、母親は二度と授からない。ここはこの子を埋めて母を養おう」と。妻は悲嘆に暮れたが、夫の命には従う他なく、3歳の子を連れて埋めに行く。郭巨が涙を流しながら地面を少し掘ると、黄金の釜が出て、その釜に文字が書いてあった。「孝行な郭巨に天からこれを与える。他人は盗ってはいけない」と。郭巨と妻は黄金の釜を頂き喜び、子供と一緒に家に帰って、さらに母に孝行を尽くした。

 

三面とも彫刻の題材がわかって嬉しかったです照れ

劣化が進んでいるのは少々残念でしたが(>_<)

 

 

2018/12/2 参拝