追悼『音の詩人・・・。』松田晃演先生のこと | fadoおじさんのblog~明日の君に~

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 同じ一音でも、その光景を思い浮かべ、詩情を感じて弾くと全く違う演奏になる・・・。

 

 たとえば・・・遠い大陸から冬を越えて戻ってきた一羽の鳥が、雨に濡れて一人寒さをしのいでいる詩があったとして、それを思い浮かべ心の底から湧き出る情感をもって弾くのと、何も考えずに弾く音では、全く意味も内容も価値も変わります。―松田晃演―

 

 松田先生の言葉は、情緒的であり時に哲学的でさえあります。それは、コンサートを一度、聴いてみると良く理解できると思います。抱え込むようにギターを弾く松田先生の音は、詩情豊かで、聴衆を深い音楽の世界へ「すう~と」ひき込んでゆきます。初めて聴いたはずなのに、心のずっと奥の方で、ずいぶん前から知っていたような、情緒的、自然的な音を奏でられます。その時、私たちは松田先生のことを『音の詩人』と呼ぶのです。

―松田先生ホームページ、S・K君の投稿よりー

 

 For Ingrid『Allegro Non Troppo(Prelude)』作曲:M.M.Ponce

 You Tube 

 

 

 

 彼は、自宅の書斎にあるパソコンの前に座り、自らのホームページのブログ「ギターと私」にエッセーを書き込んだ。読者の励ましもあり、不定期ではあるが、月に2~3回書き込みを行っている。彼は書き込みを行った後、何となくyou tubeの画面を開き、Ponceとキーを打ち込んだ。パソコンの画面には、プロからアマチュアまで色々な演奏がアップされていた。「へー、こんなにPonceをアップしている人がいるのか」と驚いたように独り言をいい、若いギタリストがPonceのPreludeを弾いている画面にキーをあわせた。画面からはアップテンポで颯爽とこの曲を弾いている画像が映し出されていた。「この曲を、完成させたのはいつのことだっただろうか・・・。」遠い昔、巨匠セゴビアの夏期講習会にこの曲で、臨んだ記憶を思い出していた。

 

 50年以上前のこと、彼にとっては2年目のスペインでの夏期講習会、彼は、WeissのPreludeを携えて、セゴビア先生のレッスンに臨もうとしていた。バロックを代表するリュート奏者であるWeissの作曲したこの曲のハーモニーに、多少の違和感を持ちながらも、師の弾く演奏にならって、かなり速めに速度を設定した。「曲の仕上がりは悪くないな。」そう呟いた。彼は、当時、セゴビア先生の推薦で、イギリスのジョン・ウイリアムスのもとでギター音楽を学んでいた。イギリスからスペインの講習へと向かおうとする彼に、イギリスの作曲家、J・Dが、「この曲は、バロック時代のギター曲のレパートリーが少ないことに悩んだセゴビアが、ポンセと結託して、バッハよりは有名ではないWeissの曲として発表したのさ。」と耳打ちした。「そうだったのか、なるほど・・・。」そのとき、彼は、この曲に感じていた違和感が解消され、頭の中が透明になってゆくのを感じた。スペインでのレッスンの初日、彼は、予定していたこの曲を変更して別の曲で、レッスンを受けた。それからは、講習会期間中、この曲を完成させるため、彼の試行錯誤が始まった。近代的なハーモニーを使ってバロック音楽を再現する。セゴビア先生とポンセの意図をどう解釈するとよいのか?彼は、テンポから見直しを始めた。そして、何度も“不揃いな、いびつな真珠”を頭の中に思い浮かべた。そこから発せられる不規則で、この上ない美しさ・・・。また、優雅なリュートによる、規律より、気まぐれな思い付きを感じさせる退廃的なバロック音楽・・・。彼は、この曲を、遅めのテンポで“バロックの曲を装った近代の曲”として音楽の解釈を完成させた。そして、そこに、ポンセの基調に在るフランス風流麗さと、ほんの少しだけロマンの風を乗せることも忘れなかった。

 

 レッスン最終日、彼は、セゴビア先生の前でこの曲の新しい解釈を示した。セゴビア先生は、彼がこの曲を弾き始めたとき、一瞬、びっくりした表情を見せていたが、次第に、にこやかに、そして、曲が終了したときには、満足感に満ちた素晴らしい笑顔で彼の手をとって彼の目をじっと見つめた。その笑顔は、いつも講習の最後に受講するJ・W氏が演奏したときに見せる笑顔である。彼が、名実共に、セゴビア先生の後継者になった瞬間であった。

 

 1980年と82年セゴビアが3回目と4回目の来日を果たした。北は、北海道、南は沖縄から彼のコンサートを聴こうとする聴衆が押しかけ、連日満員の盛況であった。彼は、セゴビア先生の来日期間中の全てを一緒に過ごした。そして、毎日のようにセゴビア先生のレッスンを受けたのである。セゴビア先生が日本を発つ前日、ホテルの一室で、「あの曲を演奏してくれないか?」との先生の所望に、彼は、思い出のあの曲、そう、PonceのPreludeを演奏した。軽く目をつぶり演奏する彼の頭に去来したものは20年前の講習会でこの曲を完成させた記憶であった。演奏を終えた彼を見つめるセゴビア先生の眼差しは、あの時と同じ満足げな笑顔であった。そして、セゴビア先生は、「昨日の雑誌のインタビューで君の事を好く言っておいたから楽しみにしていなさい・・・。」と伝えた。セゴビアは某ギター専門誌のインタビューに応えて、彼の真の後継者として、彼を絶賛していたのだ。しかし、どのような意図かはわからないが、その部分はその雑誌から削除されていた・・・。

 

 『松田晃演は、現在の最も優秀なギタリストであり、いかなる複雑なパッセージも、易々と演奏するテクニックを持っている。私は「アカデミア・キジアーナ「(イタリー)と「ムシカ・エン・コンポステラ」(スペイン)で彼を教えた。

 今や、彼は自分の翼で高く見事に飛んでいる。彼の国の内外における演奏家としての将来は輝かしいものであることを予言する。(1982 東京にて、Andres  Segovia)』

 

 日本を発つその日、セゴビアは、この声名を世界に向けて発信した・・・。

 

 You tubeから流れてくる、若者の演奏を聴き終えて、「自分のやるべき事は、まだまだあるな・・・。それがセゴビア先生の後継者としての義務なのだ・・・。」そう、独り言を呟き、彼はパソコンの前から立ち上がった。(2014年、Topzemi創作・松田先生編集)

 

謹んで松田晃演先生のご冥福をお祈りいたします。

 

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