とある匿名掲示板で、こんな書き込み (#464) がありました。匿名掲示板なので、疑いながら読んでみて下さい。

囲碁は上流の〜とか何度も書き込んでる人がいるけど、百歩譲って囲碁の差別体質が無くならないのは分かった。でも肝心の上流にすら響いてないのが現状。
まだ企業の上部の中にはギリギリ囲碁好きも残ってるけど、それは上流だから囲碁が好きなんじゃなくて世代的にアナログゲームしかなかったから囲碁を打ってるだけ。碁会所の貧乏爺さんと同世代。そういうのがまだ身近だった世代というだけ。

なので結局は団塊以下の世代で囲碁が廃れてるのと同じく、団塊以下世代の上流からも囲碁は同じく廃れてる。本当に上流の嗜みだったなら世代に関わらず今でも若い社長とかの間で流行ってる筈。
実際は年功序列で位が上がっていった日本で、若者の間で囲碁が廃れた結果、囲碁が好きな人=会社の上部=金持ちの嗜みと誤解されただけ。そしてその誤解を真に受けて金持ちの指導碁にばかり熱心になって初心者への普及を疎かにして、見下した初心者も将来金持ちになったり会社で地位を摑む可能性を考えず廃れたのが今の状態。

この書き込みが的を射ているのかどうか分かりませんが、愛好家が特定の年齢層に偏ると社会への顕れ方も偏る、ということはありうる話かも知れません。(囲碁界がそうなのかどうかはわかりません。)


どこで読んだ話か忘れましたが、将棋道場・碁会所の廃業が相次ぐと、そこの常連 (のうちの一部) が他の将棋道場・碁会所に通うようになるので、受け入れる側の将棋道場・碁会所は全体の悪化が見えにくい、なんて話もありました。

つまり、局所だけ見ていても全体の傾向が把握できるとは限らない、ということです。


例えば将棋界が衰退していった未来を想像してみます。

多分、「指す将」よりも「観る将」の方から大きく減少していくでしょう。青年期までにある程度将棋をやった人は健康寿命が尽きるまで将棋を指す割合が高いでしょうが、「観る将」は興味を失ったらすぐに「観る将」をやめることが多いと思われます。

そうすると、「指す将」と「観る将」の比率が変わってくるんですよ。

もし今後、「指す将」の比率が高くなってきたら、それは将棋界の衰退が進んだことを示す証かも知れません。

私が以前指摘したとおり、「指す将」と「観る将」の比率は将棋の普及の物差しにならないどころか、「指す将」率の増加が将棋界の衰退を示す可能性すら高いです。


支部例会の参加者数は、増加するに越したことはないのですが、だからと言って無闇に何でもかんでもやればいいというものでもありません。

私が所属する支部は何年間も事前申込制で運営しています。ある時、ある支部役員から当日受付制の提案がありました。私は猛烈に反対しました。

多分、当日受付制にすれば高齢者の参加者が一時的に少々増えるだろうと思います。それと引き換えに、運営側の負担は激増します。私の主観的な負担感で言いますと、事前申込制と比べて当日受付制は何倍も (何十倍も) 負担感が大きいです。

最終的には、負担感の増加に見合うだけの改善があるかどうかで評価すべきことだと考えます。私が将棋を普及させたいのは子どもであり、子どもには若い保護者がついていて (おそらく) 100% 事前申込ができます。これを当日受付制にしたところで、子どもの参加者は殆ど増加しないものと思われます。(それどころか、事前申込制だからこそ新規の参加者が申し込みやすいと考えています。この件は後日触れるかも知れません。)

また、こう言っては何ですが、参加者の大部分が高齢者である将棋の場は県内でまだいくつか残っていますので、多大な負担と引き換えに私の支部で当日受付制を導入しても高齢者の選択肢が1つ増えるに過ぎないだろうと思われます。新規の将棋愛好家を増やすことには殆ど貢献できない気がします。


長く書いてしまいました。

普及のためにはどの指標に注目すべきか、は大切なことだと思います。