以下、「入門者」として想像される人を2通り書きます。

[A]

子ども「将棋が強くなりたいです。」

将棋関係者「じゃあ、最初は6枚落ちで対局してみようか。」

子ども「はい。」

対局後

子ども「勝てなかった。」

将棋関係者「そりゃ、銀を真横に動かそうとしたりしていたら勝てないよ。まずは駒の動かし方から覚えないと。この本を読んで学んできなさい。」

[B]

子ども「世の中には色々な遊びがあるなあ。」

将棋関係者「将棋をやってみないかい?」

子ども「将棋? やり方知らないし…。」

将棋関係者「大丈夫大丈夫、子どもはすぐに覚えるから。」

子ども「Switch で遊ぶ方がいいんだけどなあ。Switch に入れているやつはどれも (最初の tutorial が充実していて) すぐに遊び始められるけど、将棋は大変そうだなあ。」

将棋関係者「じゃあ、6枚落ちで対局してみようか。」

子ども「自分の側だけで駒が20枚もある。種類ごとに動かせる方向が違うの? 未だ学校で習っていない漢字もあるし、これ全部覚えなきゃいけないの?」

将棋関係者「駒の動かし方の表をあげるから、この表を見ながら指してもいいよ。」

子ども「見ながら指していい、って言われてもどういう順番で指したらいいのか分からないよ。種類が多すぎて方針も立てられない。」

将棋関係者「将棋は覚えたら楽しくなってくるから。」

子ども「いや、誘われたから将棋を体験しているだけで、『将棋を始める』なんて一言も言っていないんだけど。」


[A] の子が駒の動かし方も覚えずに「勝てなくてつまらない」って言ったら、それはわがままと言っていいかも知れません。

でも現実的に殆どの子は [B] です。[B] の子が「勝てなくてつまらない」と言ったら、それは将棋関係者の責任です。

電子遊戯が普及するまでの間は、普及活動を殆どしなくても将棋の場へ [A] の子がどんどんやってきたのだと思います。今はそんな時代ではありません。

世の中に大量の遊戯が存在し (その多くは Swithc などの中に software という形で入っています)、子ども達にとっては1つ1つの遊戯に時間をかけてその面白さを理解する義務などなく、Splatoon のようにある程度以上普及したモノだけがさらなる普及へ進むことができる時代です。その面白さをごく短時間で子どもに体感してもらわないと、将棋界に近づいてもらうことすら不可能です。

[A] の子しか想定していない人は「まず駒の動かし方を覚えてきなさい」なんて発言するのだろうと思います。そう言われて実際に覚えてくる子もいないわけではないですが、恐らくその比率は年々低下しているものと推測します。

将棋界にとって本当に必要な普及活動対象は [B] の子だと考えています。だからこそ、最初に覚えるべき事柄を本当に最小限にすべきだと思います。

私が飛車角鬼ごっこすら避けて飛車飛車鬼ごっこをする理由もこれです。