結構前の書籍ですが、『解析魔法少女美咲ちゃん マジカル・オープン!』という書籍がありまして、この書籍の著者が「やねうら王」作者と同一人物であると初めて知りました。

この書籍が紙で絶版になった後に電子書籍化するためにいくつかの敷居があった点が blog で触れられています

プレミア価格になってからも「再販しないんですか?」とブログの読者の方などから問い合わせを数多くいただき、これは再販すべきだよなぁと思って出版社のほうに増刷するか、無料でPDFか何かを公開させてもらえないかと何度か出版社の編集担当に交渉したのだが、これがどうもうまくいかなかった。

まず、本文の著作権自体は著者(私)にある。だから絶版になったあと本文だけを公開することは出来る。しかし図は、下書きは私が書いたものではあるが、出版社の編集側で手直ししたものが本には使われているし、組版をしたのは出版社である。これらに関する権利が出版社にある。また、表紙イラストは漫画家のS先生に出版社側が依頼したものである。

当時は書籍と言えば紙ばかりで、出版までの作業の流れには電子的な再利用への考慮がなかったのだと思います。

今の時代だとどういう流れになるのでしょうね。最低限の表紙、最低限の図表をつけて Vivliostyle や Re:VIEW で epub や PDF まで作成し、そこに出版社が「我が社で美麗な表紙を付け、図表を分かりやすく書き換え、ちゃんとした装丁で電子出版・紙出版しますので、その権利を買わせて下さい」となるのでしょうか。そういう、個人では手を出しにくいところにお金をかけて付加価値を増やしてくれるのが出版社の使命かな、と思います。(販路や宣伝面の力もあります。)

そうすると、技術書典のように自分で組版までできる人達が集まって出版社を通さずに販売したり、Kindle でも出版社抜きで著者が Kindle へ直接持ち込むことができるようになるので、書籍における出版社の純粋な価値が以前よりもはっきりしてきたと思われます。

ちょっと話は変わって、とある呟きその続き

Kindle本で巻数が分かれている本をまとめて合本にしている本の表紙が汚いのなんとかならないのだろうか。まとめて安くしてくれるのはありがたいのだが、あのやっつけでセンスのかけらもない表紙が嫌でしかたない。デジタルといえども表紙は本の大切な要素なんですよ。>特に文春e-Books!
電子書籍はデータといえども、データをコレクションして所有するということに変わりはない。せっかくの装丁をデジタル本だからという理由で適当に扱う出版社のセンスが理解できない。

2015年の呟きなので呟いた方も意見が変わっているかも知れませんが、あえて取り上げます。私はあまり賛同できません。

「データをコレクションして所有するということに変わりはない」という点はその通りだと思います。しかし、読者が本文に対して感じる価値と表紙・想定に対して感じる価値は (今の時代は) 分離すべきだと思います。私は表紙についての価値を殆ど感じないので、美麗な表紙の本が1500円、本文が全く同じで醜い表紙の本が1000円で売っていたら、迷わず後者を選びます。

最初の話に戻りますが、今の時代、本文執筆・図表の美麗化・表紙作成・装丁・印刷製本・出版 (販路・宣伝) という感じで価値が分離してきている (部品になってきている) と思います。そして、時代に合う部品だけで本が作られるようになり、それに合わせて価格が変わる (時代に合わない部品が含まれて価格が高くなっていると売れなくなる) と思います。


以前も書いたと思いますが、今の時代に即していて殆ど費用をかけずに書籍が作れる方法は以下の方法かと思います。

  • Markdown 形式で執筆
  • GitHub で集積 (執筆者が複数でも扱いが簡単)
  • Vivliostyle などで epub や PDF を作成
  • 電子的に配布 (紙書籍がいい人は、1冊から製本してくれる会社へ自分で発注)

これで基本的に0円で本が作れます。(集積場所については、GitHub 以外の選択肢の方がいいかも知れません。)

時間に余裕があれば県内の将棋関係者の半生録を作りたいのですけど、いつになることやら。