ある学級の10人の保護者の中から1人、PTA 役員を決めなければならないとします。また、この10人は全員が「PTA 役員をやりたくない」と考えているとします。(PTA という組織の是非はここでは論じません。)


徒競走

保護者10人で徒競走を1回実施し、この徒競走で終了地点 (goal) 到着が一番遅かった保護者が PTA 役員を引き受けることにする案が出てきました。

ここで、徒競走に対する2つの考え方がありえます。

A 人々の足の速さには本質的に差があり、徒競走は本質的に足が遅い人が負けやすい競技である
B 人々の足の速さには本質的に差がなく、徒競走は確率的に公平な競技である

10人の保護者のうちの1人である X さんは A の考え方を持っており、残る9人の中にとても足が遅い Y さんがいることを知っています。

X さんが「徒競走に負けるようなトロ臭い奴が PTA 役員をやればよい、世の中弱肉強食だ」と考えていたら、徒競走という案に反対しないでしょう。


麻雀

保護者10人で麻雀大会を1回実施し、この麻雀大会で最終持ち点が一番低かった保護者が PTA 役員を引き受けることにする案が出てきました。

ここで、麻雀に対する2つの考え方がありえます。

A 人々の麻雀の強さには本質的に差があり、麻雀は本質的に麻雀が弱い人が負けやすい競技である
B 人々の麻雀の強さには本質的に差がなく、麻雀は確率的に公平な競技である

10人の保護者のうちの1人である X さんは A の考え方を持っており、残る9人の中にとても麻雀が弱い Y さんがいることを知っています。

X さんが「麻雀に負けるようなトロ臭い奴が PTA 役員をやればよい、世の中弱肉強食だ」と考えていたら、麻雀という案に反対しないでしょう。


籤引き

保護者10人で籤引きを実施し、この籤引きで最終的な「ハズレ」籤を引いた保護者が PTA 役員を引き受けることにする案が出てきました。

ここで、籤引きに対する2つの考え方がありえます。

A 人々の籤運には本質的に差があり、籤引きは本質的に籤運が悪い人が負けやすい競技である
B 人々の籤運には本質的に差がなく、籤引きは確率的に公平な競技である

10人の保護者のうちの1人である X さんは A の考え方を持っており、残る9人の中にとても籤運が悪い Y さんがいることを知っています。

X さんが「籤引きに負けるようなトロ臭い奴が PTA 役員をやればよい、世の中弱肉強食だ」と考えていたら、籤引きという案に反対しないでしょう。


ここで、「1回の籤引きで PTA 役員を決める場合」と「籤引き順を決める籤引きをする場合」とで Y さんが PTA 役員になる確率がどう異なるのか、調べます。

なお、Y さんの籤運は最悪で、自分が望まない結果に結びつく籤が籤箱の中に残っている場合は必ずその籤を引いてしまうものとします。

1回の籤引きで PTA 役員を決める場合、

Y さんが1番目なら ハズレを引く確率は 100%
Y さんが2番目なら ハズレを引かない確率は 10%、ハズレを引く確率は 90%
Y さんが3番目なら ハズレを引かない確率は 20%、ハズレを引く確率は 80%
Y さんが4番目なら ハズレを引かない確率は 30%、ハズレを引く確率は 70%
Y さんが5番目なら ハズレを引かない確率は 40%、ハズレを引く確率は 60%
Y さんが6番目なら ハズレを引かない確率は 50%、ハズレを引く確率は 50%
Y さんが7番目なら ハズレを引かない確率は 60%、ハズレを引く確率は 40%
Y さんが8番目なら ハズレを引かない確率は 70%、ハズレを引く確率は 30%
Y さんが9番目なら ハズレを引かない確率は 80%、ハズレを引く確率は 20%
Y さんが10番目なら ハズレを引かない確率は 90%、ハズレを引く確率は 10%

Y さんの順番 (1~10) が等確率で決まっているなら、最終的に Y さんがハズレを引く確率は 55% です。

籤引き順を決める予備籤引きを実施して PTA 役員を決める場合、

Y さんが1番目なら 予備籤引きで「本籤引き1番」を引く確率は 100%
Y さんが2番目なら 予備籤引きで「本籤引き1番」を引く確率は 90%「本籤引き1番」以外を引く確率は 10%
Y さんが3番目なら 予備籤引きで「本籤引き1番」を引く確率は 80%「本籤引き1番」以外を引く確率は 20%
Y さんが4番目なら 予備籤引きで「本籤引き1番」を引く確率は 70%「本籤引き1番」以外を引く確率は 30%
Y さんが5番目なら 予備籤引きで「本籤引き1番」を引く確率は 60%「本籤引き1番」以外を引く確率は 40%
Y さんが6番目なら 予備籤引きで「本籤引き1番」を引く確率は 50%「本籤引き1番」以外を引く確率は 50%
Y さんが7番目なら 予備籤引きで「本籤引き1番」を引く確率は 40%「本籤引き1番」以外を引く確率は 60%
Y さんが8番目なら 予備籤引きで「本籤引き1番」を引く確率は 30%「本籤引き1番」以外を引く確率は 70%
Y さんが9番目なら 予備籤引きで「本籤引き1番」を引く確率は 20%「本籤引き1番」以外を引く確率は 80%
Y さんが10番目なら 予備籤引きで「本籤引き1番」を引く確率は 10%「本籤引き1番」以外を引く確率は 90%

「本籤引き1番」を経由して最終的にハズレを引く確率だけで 55% あります。

そして、「本籤引き1番」以外であっても、本籤引きでハズレが残っていれば確実にそれを引いてしまうわけです (面倒なので計算はしませんが、これを総体で α% とします)。

そうすると、Y さんが最終的にハズレを引く確率は 55+α  % となります。

言い換えると、予備籤引きを実施することで、籤運が悪い人は悪い結果を引いてしまう確率がより高くなるわけです。(結果として Y さん以外の人が PTA 役員になる確率は下がります。)


数値計算はしませんが、逆の例を考えてみましょう。

X さんの籤運がとても良い場合、予備籤引きを実施することで X さんが PTA 役員を引き受けないで済む確率は上がります。何しろ、予備籤引きで少しでも前の方の順番を引き当てることができ、本籤引きで10番目にさえならなければハズレを避けることができるのですから。


人々に固有の籤運というものが存在するかどうかは、晴れ男や雨女が存在するかどうかと同程度に信じられているものと思われます。それはまた「彼は雨男だから明日の運動会は中止だろうなあ」とか「私は晴れ女だから明日の遠足は安心していいよ」とかいう発言があまり否定されずに社会に受け入れられていることと根が同じでもあります。

B「人々の籤運には本質的に差がなく、籤引きは確率的に公平な競技である」と信じている人にとっては、予備籤引きを実施してもしなくても最終的な確率は変わらないように見えるので予備籤引きを「無駄な行為」と言ってしまうのでしょう。

でもそれは、籤引き参加者が全員 B の考え方を持っていることが確認できた場合にのみ成立する話です。

X さんの立場からは「予備籤引きを実施する方が自分にとって良い結果になりやすい」ですし、Y さんの立場からは「予備籤引きを実施しない方が自分にとって良い結果になりやすい」です。いずれも予備籤引きの実施によって確率が変化するという立場です。


暴論になりますが、「籤引き順を決める予備籤引きは無駄だ、と学校で習ったでしょ」という発言は、「太郎君は P 点から東向きに時速 12km で出発する、と学校で習ったでしょ」という発言と同類であると言えます。ある前提が成り立つ場合にこういう計算ができるよ、という数学問題の前提部分に過ぎないのです。


私は、純粋な籤運というものは存在しないと信じていますが、一方で籤を部分的に看過する能力は存在すると信じています。

例えば「今回の籤を作るのは佐藤さんである」「佐藤さんは (A4 などの紙の) 右から順番に籤を作っていく傾向がある」「佐藤さんはアタリやハズレなど特殊な籤を最初に (右端に) 書く傾向がある」「籤を切り離す前の紙の右端には○○という特徴がある」のようなことです。

そのため、私は「予備籤引きの実施の有無で確率は変化する」という立場です。(だから予備籤引きを実施する方が良い、という立場ではありません。予備籤引きを実施しない方が前出の部分的看過能力の出番が少なくなって良い、という立場です。)