米子市錦町のA様邸屋根瓦棒工事の取付が完了しました。

作業中は意識していませんでしたがこうやって見ると大山や米子市内(高島屋等)がよく見えます。

あと雨樋の取付などが残っていますがもう少しで完成です。

 

 

週末は天気も悪かったのですがお墓参りには行っておかねばということでお花や供え物を買いに行きました。

 

 

 

ここにも便乗か。

「ふろしきまんじゅう」と「鬼滅の刃」のコラボ(勝手に)。

でも美味しいんですよね「ふろしきまんじゅう」!

 

 

この日のお寺は法事が重なっていたようでとても賑やかでした。

本堂の中も以前に比べて多くの人が法事で集まっていました。

法事後の会食はあるのかな?なんて気になったりして。

でも法事くらい親戚一同が普通に集まれるような正常な世の中に早く戻って欲しいものです。

コロナよ、早期退散してくれー!

 

さて今日も「米子の小路 八十八」 。

数えて69回目、73番目の小路の紹介させていただきます。

 

(境往来灘町側から称名寺縄手上流方向を見る)

 

鹿島小路(かしましょうじ)

(立町一丁目)

 

豪商鹿島本家と分家(下鹿)の屋敷の間にある小路であることにちなみます。

鹿島家最盛期には、米子から鳥取まで他人の土地を踏まずに行けた、というほどの城下でも屈指の商人となり、本家屋敷は間口十八間三尺、奥行三十五間四尺、奥座敷六間のとてつもない広さで、豪商に相応しい屋敷を構えていました。

米子城小天守(四重櫓)の傷みがひどくなり、嘉永五年(1852年)に、鹿島本家・分家が費用の全額(一万両ともいわれています)を肩代わりして、石垣を含めて解体修理しました。

その功に対して、藩主から旧来の小天守の鯱(しゃちほこ)を下賜され、現存しています。

 

豪商鹿島家と車尾の有名な深田家(庭園)もつながりがあったようですね。

またいつか米子の歴史を紐解いてみたいと思います。

 

今日も「米子の小路 八十八」は、米子まちなか歩こう会さんのガイドブックで勉強させていただきました。

 

それでは今日も一日、頑張っていきまっしょい!