横浜の姉の家のリフォームが始まりました。

水廻りのリフォーム。

マンションという空間の中のリフォーム。

工事の流れを見させていただき勉強になります。

都会だと業者さんたちの駐車場スペースも大変であろうし現場に向かうのももしかしたら高速道路を使って行き来したりするかもしれない。

リフォームって住んでおられるところだから施主様と窓口(営業)、大工の棟梁等のコミュニケーションが大切です。

リフォームは進めていくのに思ってもみないことが発生する場合があります。

そこでどう施主様に不安を与えないよう対処するかが非常に大切なことだと思います。

西田建設も気を引き締めて工事に当ろうと思います。

 

 

 

 

こちらは先週からスタートした米子市博労町のT様邸現場です。

この日は浴室の壁、天井、タイルの解体作業。

西田建設の中でも一番年上の服部先輩。

いつまでも若々しく現場で動いています。

世は65才以上を高齢者と呼ぶそうですが先輩に限っては青年の域を超えていないような気がします。

我がことに置き換えてみれば来年60の大台に乗ります。

先輩のようにいつまでも若々しくいたいと思うスタッフは多いです。

*これだけ褒めたら休憩の缶コーヒーでもおごってもらえるかなてへぺろ

 

さて今日も「米子の小路 八十八」いってみます。

数えて64回目。 68番目の小路です。

 

 

(中ノ棚まがりから称名寺縄手道方向を見る。右本教寺)

 

本教寺小路(ほんきょうじしょうじ)

(岩倉町・立町一丁目)

 

立町一丁目と本教寺墓地の境にある小路で、中ノ棚まがりから称名寺縄手道までをいいます。

長さ四十間。

小路の東側に日蓮宗覚応山本教寺があることにちなみます。

本教寺は天正年間(1573年~1592年)毛利氏の将、吉川氏の家臣古曳長門守吉種が飯山に築城した際、天正二年(1574年)に亡くなった母の淨昌院の菩提寺として、城内の対面所に「淨昌寺」を建立したことに始まります。

「淨昌寺」は吉川広家により灘町北東の高砂山(立町四丁目)に移され、同じ頃、本教寺となりました。

更に慶長年間(1596年~1615年)の初代城主中村一忠の城下町整備に伴い、現在地に移されたといわれています。

 

いよいよ残りも20の小路となりました。

今日も「米子の小路 八十八」 米子まちなか歩こう会さんのガイドマップで勉強させていただきました。

 

それでは今日も一日、頑張っていきまっしょい!