月曜日の大雨の中、土台敷きも終わり、明日の増築部の上棟を控えて既存建物の解体作業が昨日は行われていました。
明日の上棟に応援で行く予定になっていましたが他の現場と重なり途中で行けるかなという状況です。
大工さん他スタッフも揃っているのでお任せします。
天気が回復しますように!
一昨日、米子でも新型コロナウイルス陽性感染症患者が出ました。
大山町商工会が招待した東京から来られた方でした。
何故、今この時期に町がと言っても仕方ない。
その後の追跡調査で泊まったホテル、立ち寄りした温泉施設などあらゆる所に多大な迷惑がかかってしまう。
これを見ていると国のGo To トラベルキャンペーンは元より、横浜に住む娘夫婦、孫と会える機会もどんどん先に延びていきそうで淋しい気持ちになります。秋に控えていた紐落としにも行けそうにありません。
でもみんないろんなことに耐えていますよね。
コロナも九州の豪雨災害、大変な毎日。
その中で明るい未来が見えてくる何かを国が先導して欲しいと思います。
一日一日を大切にして生きていこうと思います。
さて久しぶりに「米子の小路 八十八」 数えて39回目いかせていただきます。
(加茂川から角盤町方向を見る)
みどり小路(みどりしょうじ)
(東倉吉町・西倉吉町)
近くには「おなじみや」さん、「鳥好」さん等がある辺りです。
東倉吉町裏の加茂川べりにある小路。
大正時代には、小路の両側に長屋があり、朝日座・米子館・キネマ館などの活動写真の弁士が住んでいたことから「弁士長屋」と言いました。この小路を「「みどり小路」と、一帯を「みどり町」と呼んでいました。
小路には、長屋のほか、カフェ、居酒屋、銭湯などもありました。
江戸時代後期に描かれた「米子領地面全絵図」には、「柳町」と記してありますが、古くは「茶町」と呼ばれていたともいわれています。
映画「裸の島」、「原爆の子」などで知られる女優乙羽信子は、この辺りの生まれといわれます。
そうか乙羽信子さんは米子の生まれだったのか。
司葉子(境港)さんにしても昔の大女優さんが鳥取県出身とはすごい」ですね。
今日も「米子の小路」 八十八 米子まちなか歩こう会さんのガイドブックで勉強させていただきました。
それでは今日も一日、頑張っていきまっしょい!






