海に湯が湧く 米子の皆生

波の音さえ 寝てて聞く

ヤレサ ホイホイ ヤットサノセ

 

浜へ出てみりゃ 唯しょんぼりと

隠岐はいとしや 波の中

ヤレサ ホイホイ ヤットサノセ

 

雲にかくれて 大山見えぬ

皆生松原 雨となる

ヤレサ ホイホイ ヤットサノセ

 

皆生小唄。小さい頃聞いた懐かしい歌です。

野口雨情作詞とは知らず佐香さんの作曲だとは知っていましたガーン

 

先日の日本海新聞です。

佐香さんは皆生の今の「ホテル芙蓉」のあったところじゃなかったでしょうか確か「玉仙(ぎょくせん)」(間違っていたらごめんなさい。)という旅館を営んでおられた方。

僕たち3人兄弟みんな同級生の子供さんがいて皆生の美人3姉妹と勝手に呼んでましたウインク

 

 

旅館の数も昔に比べて極端に減りましたが同級生もかなり旅館に関係していた人も多かった。

今でも仕事柄、皆生に行く機会は多いのですが現在の華水亭の辺りから見る皆生の海岸べりの風景は思い出がたくさん詰っており今も胸がキュンとなります。

またいつか皆生が賑やかさを増す元気な街になることを願っています。

 

さて、久しぶりに、米子の小路 八十八  今日で12回目です。

 

赤らんかん小路(あからんかんしょうじ)

道笑町1丁目・法勝寺町

 

 

 

昔の合銀(今はだらずFM)、益尾地所さんの付近です。

 

小路の中ほど北側に、かつて、「おそめ」という小料理屋があり店の前に赤い欄干がありました。

近所の子供たちも「赤らんかん」といって親しんだ小路です。

戦後、文人市長として名を残した野坂寛治の著書「米子界隈」に、「倉庫の家並と高低大小の屋根のヒサシの諧調がよろしくて、米子市内で唯一の版画になると、版画家織田一磨氏が保証した」とあります。

小路に面して建つ平野屋呉服店の土蔵(三棟)の基礎石は、米子城の石垣と同じものを使ったと伝えられています。

 

話は逸れますが朝日町にお客様が以前営んでおられたお店の名前が「赤らんかん」という名前でした。

ここから付けられた名前だったのでしょうかね。

 

以上、今日も「米子の小路」 八十八 米子まちなか歩こう会さんのガイドブックで勉強させていただきました。

 

それにしても皆生が大好きだ~!

 

それでは、今日も一日、頑張っていきまっしょい!