昨日は米子市上後藤のK様邸の外壁、塀の水洗い作業に入らせていただきました。
水洗いは丁寧に汚れ、塗膜を落としていきます。手作業だけでは出来ない箇所の下地調整が出来、養生する際のテープがきちんと貼れます。いろんな意味があるわけですが塗装工事としては結構、近隣の皆様に気を使う場面でもあります。
西田建設では外壁塗装の場合、住宅が隣接している際はお客様のご負担にもなるのですが足場にメッシュシートをかけさせていただきます。水洗いの際の高水圧洗浄で壁のほこり、汚れが細かいミスト状に飛びます。
近隣の住宅で洗濯物を干されている家は無いか、あった場合は事前に中入れをお願いする場合もございます。
そういった中できちんと汚れを落とすことが次の過程にスムーズに進めることだと思っています。
今日は外壁のクラックの下処理作業に入ります。
今日もよろしくお願いいたします。
さて、話は変わって先日、米子のことをもっと知るべき、勉強すべきということに相成りまして・・・。
「米子まちなか歩こう会」さんの編集・発行の「米子の小路 八十八」という本を参考書にしばらくの間、暇を見て歩いてみようと思いました。
米子市の中心地、湊山に築かれた米子城の天守閣から秀峰大山、日本海、中海などが見え、この「海を臨む天空の城」のふもとに米子の町があります。
米子では小路を「しょうじ」と呼び、絵図にも「ショウジ」と記載されています。
米子の小路の名前には有力商人の屋号や寺院名のついているものが多くありそこに住む人たちに長い間呼び親しまれてきた小路には町の歴史や出来事が込められています。
そうした小路の由来などを調べて、米子の「米」の字を分解した、末広がりの「八十八」にちなみ八十八の小路を選ばれこの本を製作されました。
それでは第1回目はここからスタートします。
円応院小路
愛宕町・祇園町1丁目
ちょうどスーパーいしかわ等のあるところから橋を渡ってすみれ保育園の辺りです。
外堀沿いに建てられていた円応院にちなみます。
円応院は1657年に大工町の外堀沿いに当山派修験として開創し1762年に米子城預かり家老荒尾氏の帰依を受け祈願所となり、現在地(超勝寺の隣り)に移って大悲山明王院と改号しました。
明治5年に修験宗が禁止となりましたが、山伏寺院としては米子町内では唯一存続が許されていたとのこと。
米子の中の行ったことのない場所、これからも廻ってみようかなと思います。
このガイドブックを片手に歩いていましたら声をかけてください!
それでは今日も一日、頑張っていきまっしょい!






