東北2日目の朝。

ホテルで事前にここ気仙沼から石巻まで1時間ちょっとと聞き安心して朝一番の朝食を済ませ待ち合わせのh8時半に間に合うように7時前に出発。するとレンタカーナビがまたトラブル。

開通している南三陸道、東北道に全然反応なし。

しかも到着時間は8時50分と出た!

冷や汗もの。冷静になりスマホでグーグルナビの音声検索に喋りかける。

すると到着時間8時10分。これだ!今日は朝から冴えているウインク

すぐに出発!

目の前の海岸線では7時前から防護壁の現場作業が既に始まっている。

お疲れ様です!と車中で頭を下げながら石巻へ進む。

目的地に到着。仮面ライダーのお出迎え。

ここ、かわまち立体駐車場にて待ち合わせの方と合流。

今日の(この旅の)一番のメイン。

石巻観光協会さんに「石巻・大震災まなびの案内」を事前に予約し、この日2時間30分コースで斉藤さんに案内していただくことになっていたのです。

助手席に同乗していただきスタートです。

高い高い堤防を尻目に街中を抜けると国道沿いの両側に何十箇所というレンタル・リースの重機の会社が目に入ります。

何百台と停まっていますが被災直後はほぼ空の状態で使用されたそうです。

今回の旅での一番思い出に残る場所に到着しました。市内から20~30分くらい走ったでしょうか。

石巻市立大川小学校です。

慰霊碑、焼香台があり米子から持って来た線香を立てます。

そこには児童の遺族の方でしょうか。シャボン玉を青い空に向けて飛ばされています。

「ライター、ターボ式ですから消えませんよ。お使いください!線香をお持ちいただいてありがとうございます。」と話かけてくださいました。

いろんな折に紹介される大川小学校。モダンな作りが余計悲しさを増長させます。

校舎の表側より引き波による裏側のほうが損傷が大きいです。

渡り廊下などの破壊具合など見るとすごい波の力が加わった様子が解ります。

今尚、上告中の責任問題。

児童・教職員は校舎から50メートル先のこの裏山に何故避難しなかったのか。

教育の一環である椎茸栽培も当時の校長に変わってから無くなり上がらなくなったそう。

低学年でも十分の上がれるほどの傾斜の山でした。

大人の言うことは絶対。救われる命もあったはず。

残念でなりません。

ご冥福をお祈りいたします。安らかにお眠りください。

被災した海岸べりを通過し今は更地になった住宅街を通り抜け、次に向かったのは日和山公園です。

良くも悪くも眼下に広がるこの景色。

石巻を代表する場所です。

多くの方が逃げ逃れ眼下で起きた津波の様子を見ている状況が資料として残してあります。

今日の太平洋沿岸の状況を見て、まさかの思いだったことでしょう。

語り部の斉藤さんも幸いにして助かりましたが自家用車は海岸方向から流れてきた大木で無茶苦茶になったそうです。

今回2時間半、世間話は一切なし。

ずっと当時のこと、今の現状をお話いただきました。

今朝の気仙沼早朝の工事の話をしたところ復興予算はあるんです。でも工期が決まっているから業者も早朝から向かっている。

ただし東京オリンピックが降って沸いたために復興を妨げている。こういう工事は地元の小さな施工業者じゃできないんです。

みんなオリンピックの方に行ってしまっている。と途中、「ここが聖火台が貸与された総合運動公園です」と淋しそうにひと言。

今年で仮設住宅も完全に無くなるそうで行き場のないお年寄りが沢山いるそうです。

復興って人それぞれに違う。

米子で義援金、物資の供給(もうしていないですが)などをすることよりもっと自分なりにしたいことがある。

それが今回の旅の目的でした。

たった二泊の宿泊だけど宿泊費・食事代・飲み物代・お土産代などほんのすずめの涙かもしれないけれど現地にお金を落として帰ろうと思いました。

ささやかな経済効果でしょうが目一杯こつこつこの日のために貯めたお金。

目一杯残さず使って帰ろうと。

 

この日の後半はまた紹介させてください。

 

それでは今日も一日、頑張っていきまっしょい!