今年の2月25日にインフルエンザの発症、肺への誤飲等で一時意識不明になった父も先日見舞いに行ったらすこぶる元気で受け答えもしっかりしていろんな話に答えてくれた。話題は昔からだけど食事にまつわることが多かったです。その時も食道に居たのですが車椅子で目の前にお婆さんが介護の方に連れてこられると何故かテーブルの上にあった箸を急に手に取り硬く握りしめ、自分の箸だぞと言わんばかりにそのおばあさんに目を向ける。元気だ。そう納得出来た瞬間でした。
そんな父がいつも名前を口に出すある人物が田中さん。昔のガラス屋で父の下で働いておられた方。生死をさまよい意識が戻った時の第一声に立ち会った。「田中君はどうしとる?」声をしぼるように唸った。
「広島でずっとお孫さんの世話しとんなって米子にはなかなか帰れんみたいだよ」と言うと目に涙まで浮かべる。退職後も一緒に飲みに出たりしていたから楽しい思い出が沢山あるからかなと。
ICUに運ばれ4日目にはその病室から見える窓ガラスを見つめ「この病院の窓には網戸が付いてないけん全部、田中に取り付け工事させたら500~600万くらいの仕事になるけん、喜ぶだろうな~」と笑顔でまじめに喋りだす。「冷暖房完備だけん網戸なんか使わんよ」などとは口に出せない。
意識が戻ってからはモルヒネのような刺激のある注射で認知症が嘘のように消え昔のことなど記憶が鮮明に蘇っていました。
医大のICUから以前の病院施設に戻った途端、これまで数年の父に逆戻り。時には僕がわからない時もありました。でもこの前の日曜会いに行くと「田中はまだ帰らんか?」と。実の息子の見分けが難しくても田中さんは別格のようです。
そんな昨日の夜、田中さんから電話があり、ようやく広島から開放されて米子に戻って来た。と、酔いながらの連絡。ここ数ヶ月の経緯を話すと「明日、病院に行くけん!」とありがたい言葉をいただきました。
どんなに今日喜ぶかその顔を見たいものです![]()
今、大蔵大臣の母も医大へ再入院。このところ毎晩話すことは健康の事、そして老後どちらかが認知症にかかったらどうする?など10年前にはとても話題になるような事ではないことばかり。
50代に入り、自身の体の自己管理にも注意せねばと考える今日この頃です。
皆様もご自愛くださいませ。
それでは、今日も一日、頑張っていきまっしょい!
