米子市富士見町のO様邸改装工事が昨日完了しました。なにぶんアイスバーンの雪の為、街中の車はせいぜい20キロの速度。それでもカーブでハンドルを取られ、ブレーキを踏んでは横滑りで隣の車線の車にぶつかる。そういう一日でした。さて、完成写真をと思った時にはクリーニングも荷物の移動も終わりタイミングを外してしまいました。O様とは27年来のお付き合い。昔の職場で慣れず悩んでいる時も呼び出して一晩中付き合っていただいたこともありました。よくカラオケにも一緒に行き、O様の十八番のアリス、谷村新司の歌、青春時代の甘くせつない歌など。最後は必ず「サライ」でしたねニコニコ

というような話をしていたら大阪での学生時代を思い出しました。

父と、父の職場の方と三人で米子を2tトラックで出発して大阪は近鉄奈良線の途中駅「若江岩田」という地区の集団アパートに引っ越し。米子での家族の生活から待望の一人暮らし。と思い喜びも束の間。トラックで荷物を降ろして昼ごはんを食べ終えたら、そそくさと帰っちゃいました。2Fの窓から見る孤独感。学校からも何故かバイクで30分くらいかかり、駅からも歩いて15分くらい。そのアパートは周りが工場ばかりで住民も学生など一人もおらず、夕方になれば桶とタオルや石鹸、シャンプーを持って近くの銭湯に。お客さんはこれまた工場で仕事を終えたような方ばかり。当時は携帯電話もなく1Fの大家さんの部屋の窓口に赤い公衆電話が一つ。下から「三浦さ~ん、電話よ」と。ご飯も頼めば、大家さんが月いくらで作ってくれるのですが、あえて住民共同の流し台で自炊生活。学校で友達がすぐにできる訳もなく完全にホームシックに陥りました叫び

そんなこんなで昔のわかりやすいフォークソングが大好きなんです。


僕の一日


僕の一日



僕の一日


そんな感じでO様と飲みに行って歌う曲の一つ。海援隊の昔の曲「思えば遠くへ来たもんだ」を紹介させていただきます。


踏切りの側に咲く コスモスの花ゆらして
貨物列車が走り過ぎる そして夕陽に消えてゆく

十四の頃の僕はいつも 冷たいレールに耳をあて

レールの響き聞きながら 遥かな旅路を夢見てた


思えば遠くへ来たもんだ 故郷離れて六年目

思えば遠くへ来たもんだ この先どこまでゆくのやら


筑後の流れに 小鮒釣りする人の影

川面にひとつ浮かんでた 風が吹くたび揺れていた


二十歳になったばかりの僕は 別れた女を責めながら

いっそ死のうと泣いていた 恋は一度と信じてた


思えば遠くへ来たもんだ 今では女房子供もち

思えば遠くへ来たもんだ あの頃恋しく思い出す


眠れぬ夜に酒を飲み 夜汽車の汽笛聞くたびに

僕の耳に遠く近く レールの響きが過ぎてゆく


思えば遠くへ来たもんだ 振り向くたびに故郷は

思えば遠くへ来たもんだ 遠くなるような気がします

思えば遠くへ来たもんだ ここまで一人で来たけれど

思えば遠くへ来たもんだ この先どこまでゆくのやら・・・・・。