ブログネタ:長生きしたい?
参加中 長生きしたいかと聞かれれば、当然と答えます。
子どもの頃から、死への恐怖にとらわれることが多かったです。死ぬということを考えると、どうにも逃れられない運命に恐れおののいていました。大人には、そんなこと、話せませんでしたね。夜の暗闇の中で、泣きたいような気持ちを抑えていました。きっと、神話とか、ファンタジーが好きだった子ども時代は、そうした世界に永遠を観ていたかったのかも知れません。
思春期には、宗教に心が惹かれました。何か、死というものに対して、有効な答えが隠されているように感じました。でも、最終的には、天国を信じることができませんでした。
科学者たちの死に対する考えに近いようです。我々の身体を組成する物質も、全て、かつては宇宙に存在していたものです。人が死ぬと、もう意識もない無の世界でしょう。ただし、肉体は、また自然に帰っていく。土葬なら、自然界の分解者によって、土に帰っていく。やがて、植物に吸収され、それを食べた動物の身体となっていく。火葬なら、煙突から出る煙が、一瞬のうちに、大気中に広がり、雨に溶けて地上に降り注いだり、直接、他の物体と結びついていく。
慢性腎炎が分かったのが、高校生の時でした。やがて、診断名がいつの間にか、慢性腎不全となり、間もなく、透析導入となりました。慢性腎炎で入院した頃は、まだ、透析医療がなかったようで、入院してきた若い女性は、既に失明していて、後は死を待つのみだと、患者の付き添いの人たちが話していました。
僕が、透析導入の時には、患者会の先人たちの運動の成果を受けることが出来ました。障害者手帳を交付され、高額な透析医療費も実際の負担がないようになっていました。
だから、今、生きていることは、運のいいことでもあり、社会制度に感謝しています。一昔前だったら、生きていることが出来なかった。だから、透析を受けることは、苦にはなりませんでした。生きることが出来る、それが幸せな事なんですから。
子どもの頃からの死にたくないという希望の一部は、生まれてきた時代のおかげで、透析医療を通して実現しています。しかし、不死は望むことすら意味のないことだと分かっています。先日は、市内のホールで、地元の仏教会主催の涅槃会に行ってきました。お釈迦さまですら、死を免れなかった。仏教の諦めというのは、死とか病苦などを徹底的に考え抜いて、これ以上は考えることが出来ない段階に至ること、つまり、問題が明らかになった段階を言うようです。だから、死を悩んでも、仕方ないこと。でも、こうした考えも受け入れることができません。
患者会の役員をやってから、たくさんの患者会の会員の告別式に参加して、彼らを見送ってきました。普段は元気そうでも、急に亡くなられた人、時間の経過とともに、歩けていたのが杖の使用となり、やがて車いすを使うようになる。そんな姿を見ながら、自分の将来の姿を思ってしまします。
絶対に死にたくないと思いましたね。だから、長生きしたい。特に長生きする目的なんかありません。生きていれば、嫌な事も経験するかも知れませんが、人との出会いや楽しいことだった経験できると信じています。
手話サークルに、若い男性がいます。目下、手話を習得しようと頑張っています。去年、20歳になったばかりで、今年の1月には、市主催の成人式に参加しています。彼の事を見ていると、嫌でも自分の年齢の事を意識しています。僕には絶対かなわないことは、若さということです。後20年生きられるか分かりません。透析患者の平均寿命は、健常者より短い。20年後は、彼はまだ働き盛りの40歳です。
といって、僕にも、青春時代がありましたが、無駄に時間を使い過ぎたようです。だから、これからは、出来るだけ長生きしたいんです。
一時、パニック障害の時がありました。その時は、朝、目が覚めると、ああ、生きて起きることが出来るんだと思っていました。
毎日、朝に普通に目が覚めることが、この先、ずっと続いて欲しいものです。
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子どもの頃から、死への恐怖にとらわれることが多かったです。死ぬということを考えると、どうにも逃れられない運命に恐れおののいていました。大人には、そんなこと、話せませんでしたね。夜の暗闇の中で、泣きたいような気持ちを抑えていました。きっと、神話とか、ファンタジーが好きだった子ども時代は、そうした世界に永遠を観ていたかったのかも知れません。
思春期には、宗教に心が惹かれました。何か、死というものに対して、有効な答えが隠されているように感じました。でも、最終的には、天国を信じることができませんでした。
科学者たちの死に対する考えに近いようです。我々の身体を組成する物質も、全て、かつては宇宙に存在していたものです。人が死ぬと、もう意識もない無の世界でしょう。ただし、肉体は、また自然に帰っていく。土葬なら、自然界の分解者によって、土に帰っていく。やがて、植物に吸収され、それを食べた動物の身体となっていく。火葬なら、煙突から出る煙が、一瞬のうちに、大気中に広がり、雨に溶けて地上に降り注いだり、直接、他の物体と結びついていく。
慢性腎炎が分かったのが、高校生の時でした。やがて、診断名がいつの間にか、慢性腎不全となり、間もなく、透析導入となりました。慢性腎炎で入院した頃は、まだ、透析医療がなかったようで、入院してきた若い女性は、既に失明していて、後は死を待つのみだと、患者の付き添いの人たちが話していました。
僕が、透析導入の時には、患者会の先人たちの運動の成果を受けることが出来ました。障害者手帳を交付され、高額な透析医療費も実際の負担がないようになっていました。
だから、今、生きていることは、運のいいことでもあり、社会制度に感謝しています。一昔前だったら、生きていることが出来なかった。だから、透析を受けることは、苦にはなりませんでした。生きることが出来る、それが幸せな事なんですから。
子どもの頃からの死にたくないという希望の一部は、生まれてきた時代のおかげで、透析医療を通して実現しています。しかし、不死は望むことすら意味のないことだと分かっています。先日は、市内のホールで、地元の仏教会主催の涅槃会に行ってきました。お釈迦さまですら、死を免れなかった。仏教の諦めというのは、死とか病苦などを徹底的に考え抜いて、これ以上は考えることが出来ない段階に至ること、つまり、問題が明らかになった段階を言うようです。だから、死を悩んでも、仕方ないこと。でも、こうした考えも受け入れることができません。
患者会の役員をやってから、たくさんの患者会の会員の告別式に参加して、彼らを見送ってきました。普段は元気そうでも、急に亡くなられた人、時間の経過とともに、歩けていたのが杖の使用となり、やがて車いすを使うようになる。そんな姿を見ながら、自分の将来の姿を思ってしまします。
絶対に死にたくないと思いましたね。だから、長生きしたい。特に長生きする目的なんかありません。生きていれば、嫌な事も経験するかも知れませんが、人との出会いや楽しいことだった経験できると信じています。
手話サークルに、若い男性がいます。目下、手話を習得しようと頑張っています。去年、20歳になったばかりで、今年の1月には、市主催の成人式に参加しています。彼の事を見ていると、嫌でも自分の年齢の事を意識しています。僕には絶対かなわないことは、若さということです。後20年生きられるか分かりません。透析患者の平均寿命は、健常者より短い。20年後は、彼はまだ働き盛りの40歳です。
といって、僕にも、青春時代がありましたが、無駄に時間を使い過ぎたようです。だから、これからは、出来るだけ長生きしたいんです。
一時、パニック障害の時がありました。その時は、朝、目が覚めると、ああ、生きて起きることが出来るんだと思っていました。
毎日、朝に普通に目が覚めることが、この先、ずっと続いて欲しいものです。
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