- おてがみです―あるゆうびんやさんのおはなし/ガブリエル バンサン
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それでも、自筆の手紙を頻繁によこしてくれる友人がいる。同性の友人ではないが。嬉しい気持ちで受け取るものの、返事は、ほとんどメールでしている。自筆で書くことが、すっかり苦手になっている。自筆の手紙は、自分というものが出るような気がする。そうした点も、照れくさいのである。
高校の時は、まだ、PCも携帯もなかった。自分の気持ちがコントロール出来なくて、意に反して避けるようになった友人に、謝りの言葉を振り絞るように書いたのは、クリスマスカードに託した時だった。
卒業後、文学や哲学にのめり込んだ友人と、しばらくの間、手紙のやり取りをした。お互いに妥協をしない内容の手紙。彼が、卒業後、精神を病んでからのこと。病名も病状も敢えて聞かなかった。聞けなかった。でも、彼の家を訪問した時、彼は、自分が入院していた病院を案内してくれた。作業療法をしていたと言っていた。その病院は、高校のすぐそばにあった。
絵本を読んだ。ガブリエル・バンサンの『おてがみです―あるゆうびんやさんのおはなし―』。
バンサンの絵本は、普通の人や動物が、毎日暮らしている中で起った出来事を描いている。取り上げられなければ、忘却の運命にさらされる物語。要するに、私達の身の周りに起こっていること、起っていたこと。人々は、世界で何かが起こっていても、自分に関係のある事しか意識に登らせようとしない。昔から、無限に積み重ねられ、忘れられていった記憶の地層。
この絵本は、馬車が走っていた頃の話。自動車も珍しい存在だったが、走っていたそんな昔でもない頃の話。
小さな郵便屋さんと呼ばれる、身体の小さな年をとった郵便配達夫と彼の手紙を、心待ちにする人たちのお話だ。今と比べて、自分たちの消息は、手紙を使うことでお互いに伝えあった。相手に届くのに、時間がかかるだけ、人々は、それぞれ思う人に、大切な人に、手紙を出し、受け取ることに大きな意味を感じていた。手紙の中には、出す人、受け取る人の気持ちが込められていた。
小さな郵便屋さんは、ハガキは嫌でも盗み見してしまう。でも、街や村の人たちもそのことは承知の上だ。小さな郵便屋さんは、手紙を心待ちしても受け取ることのない人への、心配りもしている。
郵便屋さんを、馬車や市街電車や自動車に乗せることは、良運をもたらす行為と信じられていたようだ。それだけ、手紙の価値が高かった時代だった。だから、郵便屋さんは、ただで乗りものに乗ることができた。
のんびり歩きながらの配達。今は、ロマ族といわれるジプシーの集落も配達しながら。
ページの最後に、村や町の人々の手紙が載っている。その中には、共感し合う手紙も含まれている。
今と比べて、手紙が人と人との心をつないでいた頃のお話。
