シンプルなものと派手なもの、どっちが好き? ブログネタ:シンプルなものと派手なもの、どっちが好き? 参加中
 この世界は、豊かなものであってほしい。みんなが同じようになったら、もう、この世界は閉塞感に包まれたものになってしまう。

 では、好みはと言われたら、対象により結果が違ってくる。

 僕は、色々な演劇を観るのが好きだが、能や狂言は、余計なものをそぎ落としたシンプルなものだろう。それに対して、歌舞伎は、極彩色の世界のイメージである。では、どちらが好きかと聞かれたら、両方と答えるだろう。
 でも、能もその装束は、派手と言っていいものがある。また、「石橋」のような曲は、派手と言ってもいいのかもしれない。また、歌舞伎でも、全てが極彩色に包まれているものともいえない。佐倉惣五郎を題材にした「東山桜壮士」のような作品は、派手とはいえない。また、松羽目物は、かなりシンプルに作られている。
 現代劇でも、演出によっては、派手に演じられるものもあれば、シンプルに演じられるものもある。極端な話、衣装も普段着、大道具も無しでも、あらゆる時代、状況が描き得るのである。また、歌舞伎のようにも演出することが出来るのである。そう、ギリシア悲劇やシェークスピアを演じる時も、かなり、自由に演出を行うことができる。シンプルにも、派手にも、でも、演者と演出の力により、観客はその世界に浸ることができるのだ。

 相反するような存在があるから、お互いに存在意義が出てくるのかもしれない。

 民俗学のハレとケというのも、どちらも単独では意味がないようだ。日常生活をちゃんと送り(これは、かなりシンプルなもの)、祭りの時には非日常的にはじけてみる。冬、雪に閉ざされた世界から、夏のあの派手な祭りを展開するねぶた祭りのようなハレの世界を、東北で見ることが出来る。リオのカーニバルも、日常生活があってこそ、あれだけエネルギーが発散されるのだろう。

 動物や植物の世界でも、シンプルなものと派手なもの、両方が存在する。どちらも、生き残るための進化の結果である。毒々しい色をした弱い生物。目立たないように獲物を捕る狩人。

 ただし、人間の手が入った園芸の世界では、地味な存在の方が好きである。多肉植物が特に好きだが、クジャクサボテンの例のように、交配を重ねて派手なものを作り出しても、結局は、直ぐに飽きられて姿を消していくものが多い。バラのような花の世界も同様である。青いバラも、そのうちに当たり前の存在となっていくだろう。バラなら、目立たない野バラやハマナスのような原種が好きだ。シクラメンも、最近は、花弁の多いものが作出されたようだが、原種のシクラメンがいい。香りもするのだから。
 多肉植物も、花サボテンを含めて、交配を重ねて、変な和名を付けられたものが多い。でも、原種にはかなわないのではないか。自然界の多様性を守るためにも、原種を保護して育成するのも、園芸家の務めではないのか。

 また、話が拡散してしまった。もうじき、桜の季節。桜も花の時期は派手であるが、その後の緑の季節は地味な存在となる。両面を持っていてもいいのではないのか。

 ただし、僕は派手にはなれない。目立たない存在かな。「シンプル イズ ベスト」の生き方の方がいいようだ。でも、実際は、シンプルな存在になるためには、それを裏付けるハートとマインドを持ち合わせる必要がある。何て難しいことなんだろう。それに、余計なものをそぎ落とすのは無理だもんね。現実は、ごった煮の存在だから。



食べてみたいB級グルメ ブログネタ:食べてみたいB級グルメ 参加中
 もんじゃ焼きというのは、文字焼きから来ているとか。でも、八王子では、もんじゃ焼きとは呼ばなかった。
「おべった」という。多分、べとべとしていたからなのか。
 「おべった屋」は、子どもの社交場だった。水に近いくらい薄く溶いた小麦粉がベースとなる。お椀一杯10円也。2種類くらい、中に色々なものを入れることが出来る。好きだったのは、天かす、カレー粉。キャベツも少し入っていたかな。熱せられた鉄板に、少しずつ、たらしこんで焼いていく。ぶつぶつと煮えたち、火山のような糊状のおべったを、小さな鉄のへらですくい取る。小さなお皿には、ソースが少し入っている。白い状態のものをこれに付けて食べることもあるが、普通は、最初にソースをお椀の中に入れて、溶かれた粉と一緒に混ぜてしまう。ほのかなソース味。
 熱い状態のものを口に入れるので、口の中が火傷する時もある。そんな時のために、コーラより安いチェリオの瓶を買っておく。何というささやかな子どもの幸せなんだろう。
 おこげを、故意に作ることもある。「おせんべい」と称していた。ソースせんべいの味。鉄板から、上手くへらではがしていく。パリパリの薄い「おせんべい」はおいしかった。

 子どもの社交場というのは、安い料金で、時間をかけながら、漫画の話やテレビの話など、会話を楽しみながら、食せる所だったから。
 飴焼きというのもあった。1個5円で黒飴を買う。鉄板の上で適度に溶けてきたら、重曹の粉を入れる。そして素早くかき回す。うまくいくと、大きく膨らんで固まるのだ。ミニのかるめ焼きみたいなものだ。うまく膨れた時は、嬉しくなる。重曹が入っているので、ほのかに苦い。

 中学生くらいまで、「おべった屋」が存在していたのだろうか。いつの間にか、世の中から姿を消した。

 そしたら、「もんじゃ焼き」が月島でブレイクしたという。かつての駄菓子のような存在が、豪華なものに変身していた。中に入れる具も、多種多様で、贅沢なものになっていた。

 地元にも、そんな店が出来た。でも、未だ、行ったことがない。なかなか一人では、店に入れないのである。

 でも、いつか、月島あたりに出掛けていって、子どもの頃と比べたら高級品となった「もんじゃ焼き」を食してみたい。やはり、冷たい飲み物を注文して。火傷に注意しながら口にほうばり、最後はあの「おせんべい」を焼いてみたい。
 地下鉄大江戸線に乗れば良かったのかな。その前に、同行の相手を見つけなくてはね。