寝る時、電気はつけとく?真っ暗? ブログネタ:寝る時、電気はつけとく?真っ暗? 参加中
 最近は、すっかり夜更かしが続いています。その間は、電気がついています。夜中に電気がついているのは、なんだか嫌な気分です。外から通行人が見たら、まだ、起きて何かをやっているなんて思われそうです。一刻も早く、作業を終え、電気を消して眠りにつきたい毎日を送っています。マジに、この習慣を止めなくては、近いうちに大きな反動がやってきそうです。
 人間は、進化の最初の頃は、夜明けとともに起き、暗闇が支配する夜になると早々と就寝してきました。夜も、今と比べれば、はるかに暗かった訳で、寝ること以外は考えられなかった時代が、ずっと続いてきたのでしょう。
 だから、現代人にも、体内時計には、その頃からの時間が刻まれたいるようです。また、寝るのも、暗闇というのが、我々の先祖からの記憶として、脳の中にセットされているような気がします。その方が自然なんでしょう。
 文明が進歩して、照明の技術も発達して、夜が明るくなってから、人間は、余計に活動できるようになりましたが、その分、不眠状態が当たり前のようになってきたようです。照明のためのエネルギー消費が、地球温暖化を招くなど、明るい夜を手に入れた分、失うものも少なくなかったようです。人工衛星から地球を写した画像が紹介されることがありますが、夜の日本列島が光に浮かび上がっています。環境のためには、もっと暗い夜にする必要がありますね。

 昼寝をする時は、当然、日が当たる部屋の中でも大丈夫ですが、夜は、電気をつけては、落ち着いて眠ることができません。多分、先祖からの記憶が身体にしみ込んでいるからでしょう。でも、電気を消しても、カーテン越しに街灯の光が入ってきて、真っ暗とは言えません。目が慣れてくると、周りがぼんやりと見える位です。満月の時も、月明かりが同じように部屋の中に入ってきます。でも、そうした光は、不自然には感じられず、静かに眠りに落ちていきます。

 いつまでも電気をつけている夜というのは、異常な夜を意味します。大きな台風が直撃しそうな夜とか、家族が急病で病院に行ってしまった留守の部屋とか。夜中にかかってくる電話と同じで、嫌なイメージがします。だから、暗くして寝る方が、安心できます。

 僕には、明るさは活動を、暗さは安静を意味しています。

 ただし、暗くても、外がうるさいと眠れませんね。これから、気温が上がってくると、家の前の河川敷に、若者が深夜に出てくるようになります。花火などされると、もう、気になってなかなか眠れなくなります。

 子どもの頃、よく、親戚の家に泊まりに行くのが好きでした。平気で泊まっていました。暗くなるのが、就寝の合図です。祖母の家は、街中にありました。バーや飲み屋に家を貸していました。だから、夜は、ネオンの光が入ってくるし、酔っ払いの声が聞こえてきました。でも、そんな、不完全な夜でも、不完全な暗さの夜でも、慣れてしまえば問題がなかったようです。今だったら、アウトでしょうが。

 今晩も、この後、部屋の電気を消して、少しでも早く寝たい気分です。ブログの中だけでは、おやすみなさいと言っておきましょう。気がついたら、もう4月が終わって5月が始まりました。もう一度、おやすみなさい。



なにカレーが好き? ブログネタ:なにカレーが好き? 参加中
 透析は、午前中に始まるので、途中昼食をベッドで食べることになる。片手は、回路につながれているので、起き上がって利き腕の右手だけで、食事をとっている。なお、透析中の読書も、右手で本を持ってしている。当初は、本の重みに苦労したが、最近は、厚い本でも平気である。
 昼食は、以前は、健康保険から透析食が治療の一環として出されていたが、昨今の予算カットの波を受けて廃止となった。その後は、クリニックによっては、有料か無料で透析食を出している所もあるようだが、うちのクリニックは、今は、患者自身が弁当持参である。僕は、クリニックへ歩いていく途中で、弁当を買っている。惣菜屋系の弁当屋さんで、好きなおかずを100gいくらで購入、後は、梅干が丸ごと入ったおにぎりも一緒に買っている。
 しかし、一昨日は、その弁当屋がリニューアル中で、仕方なく、コンビニ弁当を買った。案の定、油系のおかずが多い。エビの天ぶら、コロッケ、、卵焼き。
 思春期の時は、油ものは問題なかった。身体が要求するのか、無性に、脂ぎった食品が食べたい時があった。洋食屋でも、豚カツや海老フライ、ミックスフライなどの油系が好みのメニューであった。でも、年を重ねるにつれて、最近では、よほどのことでもない限り、油ものが苦手となった。てんぷらも多くは食べられない。豚カツなんて、もっての他の存在となり、調子の悪い時は、食事の時にその姿と匂いを嗅いだ時に、食欲が減退する時もあるのだ。

 カレーライスは、子どもの頃から青年期までは、大好物だった。小学生の頃は、台所からの匂いで、その日の夕食がカレーだと分かると嬉しくなった。大抵は、全部を食べきることもないので、翌朝も、残りのカレーを御飯にかけて食べるのも格別であった。一晩置いたカレーは、味が落ち着いて、また、別のおいしさが体験できた。子ども会のキャンプファイアーなどの定番も、カレーライスだった。

 カレーも最初の頃は、赤い缶に入った粉末のカレー粉を、フライパンで小麦粉と一緒に炒ってから作り始めていた。そのうちに、カレールーのタイプが登場した。バーモントカレーなど、甘口が、子どもの口には合っていたようで、中に入った具は、大きなジャガイモが一番好きだった。そのうちに、レトルトのボンカレーが登場。あの頃は、今と違って、非常に美味しく感じられた。
 揚げ物同様、最近は、カレーライスもあまり好きではなくなった。毎日、ウコンを飲んでいるせいも少しはあるのかもしれないが、年齢とともに、食べ物の嗜好も変わっていくようだ。身体が要求しなくなるのだろうか。

 でも、カレーライスの匂いは、今でも結構いいものである。

 透析患者になったことも、食の好みが変わったことに影響があるようだ。

 豚カツといえば、テレビで、慢性腎不全患者の男性が、保存期の厳しいたんぱく制限から、透析導入後にやっと念願の豚カツを食べることができたと感激する場面を見た事がある。
 でも、僕の場合は、味付けの薄口が食事に要求されるようになってから、肉や魚は、その素材の生臭さに敏感になってしまた。豚肉は豚臭いのは当たり前なのであるが、ポークソーセージの味にも敏感になってしまった。

 そんな訳で、久しく豚カツなどは食べていなかった。カレーライスも、大好物ではなくなっていた。

 でも、ある日、昼食をとるべく飲食店を探している時に、カレー屋の前を通った時に、カツカレーの看板を見つけた。そう、この組み合わせなら、長いこと食べていなかった豚カツも食べられるかもしれないと閃いて、店の中に入って行った。久しぶりの豚カツが、カレーとならいい感じに食べることができた。揚げたての衣のサクサク感と、中の柔らかい肉がカレーに包まれて、おいしく食べることができた。

 問題は組み合わせが解決したようだ。その後、時々、カレー屋でカツカレーを食べている。マイナスとマイナスでプラスになることもあるんだなという発見でした。