今月の21日から、東京のポレポレ東中野で、エロバリ(エロティック・バリアフリームービー)の上映が始まる。字幕や副音声が付いた成人向け映画の登場で、誰でも、こうした作品を楽しめることができるように使用という試みだ。 最近は、性の有り様も含めて「障害者と性」の問題が語られる機会が多くなった。NHK教育テレビの福祉ネットワーク「ハートをつなごう」でも、障害者とトランスジェンダーが放送された。 上映されるのは2作品で、下のバナーから内容等にリンクできる。 さて、昨日は、今年のふれあい運動会の2回目の打ち合わせがあった。サークルの人も来ていたので、この話をした。時々、大事な情報の時は、サークルでその情報を報告している。しかし、彼女の反応は良くなかった。同席していた夜の男性サークル員も、同様だった。若い男性なので、もっと前向きな意見が出るかと思ったのだが。ということで、次回のサークルでは、情報提供をやめにした。以前に、ゲイのろう者向けのHIV/エイズ予防パンフレットの紹介を、このブログでしたことがあったが、その時もサークルでは、情報提供しなかったっけ。 僕自身は、障害者と性というのは、大事な問題だと思っているのであるが。
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ブログネタ:夏休みの宿題、計画的に片付けたタイプ?最後まで残っていたタイプ?
参加中 小中学校を通じて、夏休みの宿題に関しては、あまり良い思いではない。
たっぷり出された夏休みの宿題は、休みの終わりにいつも大量に残されていた。8月31日は、朝から夜遅くまで、やり残した宿題を終わらせるのに、地獄の時間を過ごした。親が出動する時もあった。
毎年のことなのに、学習できないのは、僕自身の性格による。クラスメイトの真面目な人間は、毎日、きちんと決められた量の宿題をこなしていく。また、ひどく容量の良い学友は、夏休みの前半に、日記などを残して大方の宿題を終えており、休みの後半は、夏の時間を謳歌していた。そうした彼らを横目で見ても、イゾップの「アリとキリギリス」のキリギリスからアリの返信することは出来なかった。夏休みは、思いっきり、自由を謳歌していたのだ。たまの登校日も、あまり好きではなかった。
原因となった性格というのは、自分の好きな事以外は、直前にならなければ手につけられないということだ。いつも、締め切りの日まで、まだまだ大丈夫だと自分に言い聞かせて、好きな事を優先的にやってしまう。この性格は、大人になった今も変わらない。人から頼まれたことや、やらねばならない作業も、直前にならなければ出来ないのである。
理由は良く分からない。もしかしたら、LD(学習障害)やADHD(注意多動性障害)の傾向が幾分かあったのかも知れない。それとも、大雑把でずぼらな性格からなのだろうか。どうも、計画を、きちんと時間を決めてこなしていくのが苦手なのである。でも、性格とは複雑なもので、変に神経質な面も持ち合わせているのである。
小中学生のキリギリスの僕は、日記も、夏休み最終日にまとめて書くことがあった。毎日の天気と気温を続けて書くことも苦手であった。問題集も、大量の未完成の課題を前に、時間との戦いを繰り広げていた。始業式当日に持っていかなくてもいい宿題は、9月に入ってから終わったものもあった。
確かに地獄の夏の終わりの思い出であったが、不思議と何時も切迫感や緊張感に欠けていたのである。夏の思い出は、宿題を最後まで残す最終バトルの思い出であった。
直らぬ性格は、未だ、お気楽な生活態度に色濃く反映されている。切羽詰まらなければ、稼働しない自分のことも、あまり気にしていない。最低限、人様に迷惑をかけない範囲で、子どもの頃と同じ気分が続いているのだ。
たっぷり出された夏休みの宿題は、休みの終わりにいつも大量に残されていた。8月31日は、朝から夜遅くまで、やり残した宿題を終わらせるのに、地獄の時間を過ごした。親が出動する時もあった。
毎年のことなのに、学習できないのは、僕自身の性格による。クラスメイトの真面目な人間は、毎日、きちんと決められた量の宿題をこなしていく。また、ひどく容量の良い学友は、夏休みの前半に、日記などを残して大方の宿題を終えており、休みの後半は、夏の時間を謳歌していた。そうした彼らを横目で見ても、イゾップの「アリとキリギリス」のキリギリスからアリの返信することは出来なかった。夏休みは、思いっきり、自由を謳歌していたのだ。たまの登校日も、あまり好きではなかった。
原因となった性格というのは、自分の好きな事以外は、直前にならなければ手につけられないということだ。いつも、締め切りの日まで、まだまだ大丈夫だと自分に言い聞かせて、好きな事を優先的にやってしまう。この性格は、大人になった今も変わらない。人から頼まれたことや、やらねばならない作業も、直前にならなければ出来ないのである。
理由は良く分からない。もしかしたら、LD(学習障害)やADHD(注意多動性障害)の傾向が幾分かあったのかも知れない。それとも、大雑把でずぼらな性格からなのだろうか。どうも、計画を、きちんと時間を決めてこなしていくのが苦手なのである。でも、性格とは複雑なもので、変に神経質な面も持ち合わせているのである。
小中学生のキリギリスの僕は、日記も、夏休み最終日にまとめて書くことがあった。毎日の天気と気温を続けて書くことも苦手であった。問題集も、大量の未完成の課題を前に、時間との戦いを繰り広げていた。始業式当日に持っていかなくてもいい宿題は、9月に入ってから終わったものもあった。
確かに地獄の夏の終わりの思い出であったが、不思議と何時も切迫感や緊張感に欠けていたのである。夏の思い出は、宿題を最後まで残す最終バトルの思い出であった。
直らぬ性格は、未だ、お気楽な生活態度に色濃く反映されている。切羽詰まらなければ、稼働しない自分のことも、あまり気にしていない。最低限、人様に迷惑をかけない範囲で、子どもの頃と同じ気分が続いているのだ。
ブログネタ:昼と夜、海にプカプカ浮かぶならどっち?
参加中 このお題は、泳げない僕にとっては、また、かなり危険をはらんでいる行為なので、イメージの世界で遊んで観ることですね。
昼間の海に浮かんで、もちろん、浮気袋を使うことになるんでしょうが、夏の空を観るのも、確かに面白そうです。夏雲を見て、そこから、色々な物の形を読みとるのも、海の青と空の青の境界線での楽しみかも知れません。でも、あの焼けつくような夏の日差しの事を考えると、遠慮したい気持ちが増しますね。
夜の海に浮かんでみましょう。満天の星空の下、海面にも満天の星影が映っている夜の海です。あの激しかった太陽の強い日差しもありません。なんだか、宇宙に浮かんでいる気持ちさえ感じられそうです。じっと目を閉じて、潮の音を聴くのも、一興かも知れません。暗闇の中、夜空に浮かんでいるような気持ち、少しは無の境地に近づけるかも知れません。
それに、地球という僕たちが生きていく上での大事な世界の、夜の海に浮かんでいることは、かつて、僕たちが母親の体内の羊水の中に浮かんでいたことを思い出させるような気がします。本当は、そんな記憶は、無意識にも残っているのかどうかというものですが、無限に広がる宇宙の中で、生き物が存在する奇跡の星の胎内に浮かんでいるような気がするでしょう。
満天の星空を眺めながら、地球上の長い生物の歴史に思いを巡らしたいですね。母なる地球の海は、生物の発生した母体でした。その海に、胎児のように浮かびながら、暗闇の中、潮騒の音を聴きながら、人類やその他の生物の進化の音を聴いてみたいのです。その時の、闇夜は、少しも恐ろしくはないでしょう。むしろ、安心感すら感じるかも知れません。
昼間の海に浮かんで、もちろん、浮気袋を使うことになるんでしょうが、夏の空を観るのも、確かに面白そうです。夏雲を見て、そこから、色々な物の形を読みとるのも、海の青と空の青の境界線での楽しみかも知れません。でも、あの焼けつくような夏の日差しの事を考えると、遠慮したい気持ちが増しますね。
夜の海に浮かんでみましょう。満天の星空の下、海面にも満天の星影が映っている夜の海です。あの激しかった太陽の強い日差しもありません。なんだか、宇宙に浮かんでいる気持ちさえ感じられそうです。じっと目を閉じて、潮の音を聴くのも、一興かも知れません。暗闇の中、夜空に浮かんでいるような気持ち、少しは無の境地に近づけるかも知れません。
それに、地球という僕たちが生きていく上での大事な世界の、夜の海に浮かんでいることは、かつて、僕たちが母親の体内の羊水の中に浮かんでいたことを思い出させるような気がします。本当は、そんな記憶は、無意識にも残っているのかどうかというものですが、無限に広がる宇宙の中で、生き物が存在する奇跡の星の胎内に浮かんでいるような気がするでしょう。
満天の星空を眺めながら、地球上の長い生物の歴史に思いを巡らしたいですね。母なる地球の海は、生物の発生した母体でした。その海に、胎児のように浮かびながら、暗闇の中、潮騒の音を聴きながら、人類やその他の生物の進化の音を聴いてみたいのです。その時の、闇夜は、少しも恐ろしくはないでしょう。むしろ、安心感すら感じるかも知れません。