秋になると、認知症だった母が私を息子として認識できなくなった日を思い出します。数年前の今頃、仕事から帰ってきた私に、母が真顔で「どちらさん?」と訊いた時の衝撃は忘れることができません。
認知症患者は一番身近な人から忘れていく…という話をよく聞きます。母も自宅介護を続けていた息子の私を真っ先に認識できなくなりました。そのショックをなんとか鎮めようと私は「最も身近な家族は空気のようなもの。普段、特別に意識していない存在だけに、何かと気を使う他人よりも記憶の奥に仕舞われやすいのかも知れない」…そんな風に考えて納得しようと努めました。
ただし、認知症を語る時によく使われる「忘れていく」という表現は違う…と私はずっと思っていました。晩年の母は、夜中にベッドから起きだして家の中を歩き回り、とっくに亡くなった祖父母や伯父を探すことが何度もあったからです。
認知症をテーマにした小説や映画などで「記憶を失っていく母(父)」というようなフレーズをよく見かけます。確かに多くの人々を惹きつけやすく、感動的なお話を演出するフレーズとして効果的なのはわかりますけれど、そうした作品の作者はおそらく介護の実情を調べることなく、書物などで調べた表面的な知識だけで物語を創り上げているのかな…と残念に感じます。
医学的なことはわかりませんが、認知症を患った人々は記憶を失っていくのではなく、記憶を引き出すコントロール能力を失っていくだけ…私はそう思っています。母の様子を見ていたら、大切な家族などの記憶はしっかりと残っているのに、それらへのアクセスが思い通りにできず、もどかしく戸惑いながら迷路をさまよっているように感じられたからです。これは私だけでなく、介護を経験した人であれば誰もが感じることのようです。
そもそも、このブログを始めたのも、記憶を引き出すコントロールを失っていく母がランダムに呟く言葉から、私なりに母の遠い記憶を辿ろうと思ったからですし、その主旨を理解していただけた人々からもらった数々のメールは、表面的に介護を描いている凡百の小説や映画よりも遥かに深く真摯な内容で、とても励みになりました。そのことに対する感謝は決して忘れておりません。
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晩年、夜中に起きだした母は、いつも階段の前に行き、二階を見上げて「お母さん!」「お父さん!」「お兄ちゃん!」と呼びかけていました。足腰が弱ってから自力で上がることができなくなってしまった我が家の二階は、母にとって、家族と過ごした遠い記憶が生き続けている場所だったのでしょう。
やがて、母は私の名も二階に向かって呼びかけるようになり、さらに「今日はハンバーグだよ」「**君は帰ったの?」…などと、子供だった頃の私の大好物や友達の名前までも呟くようになりました。目の前にいる私のことを認識できなくなっても、母は私と過ごした日々のことを忘れたわけではありませんでした。
母が他界して一年余り。今でも二階の寝室でウトウトしていると、階下から祖父母や伯父、そして私の名を呼ぶ母の声が聞こえたように感じることがあります。もちろんそんなはずはありません。すぐ我に返り、言いようのない喪失感に襲われるのですが、同時に胸の奥で温かな気持ちが湧き起こるのも感じます。人が家族を想う気持ちや記憶は決して失われることなどないし、それ
は綿々と次の世代へ受け継がれていくものなのだという思いがこみあげてくるからです。
