おはなしや、

音楽や、

美術は、なぜ生まれたんだろう?

 

芸術が人類にとって 欠かせないものであるのは何故?

 

 

 

現在、

ちいさいひとたちは、幼稚園、保育園、学校で

英語や、お行儀よく過ごす事などを重点的に強化されてる様子です。

おはなしのボランティアをさせていただける時間は

英語活動にとって代わり、

音楽、美術の時間は どんどん短くなっていく。

 

 

焦りを覚えます。

 

英語も お行儀も素晴らしい事だと思う。

思うけど、芸術は 切り捨ててよいものでは 決してないのだ。

 

 

想像してみて。

 

遠くまで見渡せる平原に、

暮れていくお日様の 最後の光。

父親が 闇を払うために 火を起こす。

人間は 弱いから 身を寄せ合って生きねばならん。

牙も爪も身を覆う毛皮もない。

 

あるのは 心と 言葉。

 

獣たちが 鳴き声で統率の取れた群れの動きでもって

襲いかかって来るのを 打ち据えるために、

鳴き声を より複雑な『言語』へと発展させたんだ。

 

父親は 炎に照らされて

娘息子に、語って聞かせただろうな。

先人の 勇敢であったこと。

どうやって、一族を守ったのか。

その知恵と工夫。

守れなかった時、起きた悲劇や悲憤を。

それをよりしろとし、さらに命をつなぐ工夫がなされる。

 

声は、伝える、届ける。

生きるすべを。

 

やがて、それが

物語りになり、歌になる。

音楽が生まれ

祭が始まる。

祭を彩る装飾は

やがて、祖先を祭る塚を飾る。

絵画が生まれる・・・。

 

 

音楽も

物語りも

美術も

ひとが 生きるためのエネルギー。

そして、命をつなぐための 記憶の装置。

 

 

だから、

短調と長調の 音階の中に

人間の始祖の鳴き声の片鱗が

刻まれてるんじゃあ ないかしら?

 

人類の記憶なのだから、

言語が違ってしまった者同士でも

聴けば 同じ感情が沸き上がって来るのではないだろうか?

 

 

 

なーんてね。

 

 

 

 

カーラジオの マーチから

数日間にわたって

あれこれ、考えてしまいましたよ。

 

海の底から

太古の大地まで

みなさんを引きずり回しました。

 

 

 

台風が来るみたい。

 

被害が出ませんように。

祈りを込めて

ご先祖様みたいに

願掛けの唄を 唄いましょうか?

 

ああ~

ああ~

ああああああ~

 

 

さて、

これは

短調?

それとも長調?

 

やっぱり

全然 分かってないね。