今よりもかなり身分制度が厳しかった戦前の宮内省(当時)の公文書をみる機会があった。
華族には家女房という女性がいる場合もあって、その中から当主の側室になるケースも多々あったようだ。
昔の公家の系図をみると「母家女房」という人もかなりいる。
公文書をみていて一番驚いたのが、当時の戸籍では母の欄が『不詳』または『空欄』でも受けつけていたらしいことだ。
華族には家女房という女性がいる場合もあって、その中から当主の側室になるケースも多々あったようだ。
昔の公家の系図をみると「母家女房」という人もかなりいる。
ただ家女房とのみ記録されて、家女房◯◯と名前が残っているほうが珍しいと言えようか。
ここで考えたいのは家女房という身分の人はそれ程身分が低いとは言い切れない事だ。
確かに公家の家に仕えるのだから、それなりの身分はあるはずだ。しかし「家」の中では身分が低く名前を残す程ではないということなのか。
公文書をみていて一番驚いたのが、当時の戸籍では母の欄が『不詳』または『空欄』でも受けつけていたらしいことだ。
昔は大らかだったというべきか。
ウィキペディアは必ずしも正しいとは言い切れないと思っているが、検索して大体の事を知るにはとても良いものだと思っている。
その中に宮妃で「母家女房」とのみ記されているケースで、その家女房の名前が『皇統譜 皇室籍』の中に記されていたのでそれを記したい。
(伏見宮)邦家親王妃景子
鷹司政熙19女 母家女房 幸徳井庸子
(北白川宮)能久親王妃光子→離婚
山内豊信1女 母妾 水上妙秀
(賀陽宮)邦憲王妃好子
醍醐忠順1女 母妾 澤駒野
※上記の様に記されていたのでそのまま写しました。()は分かりやすいように私が付け加えました。
偶々この三つは載っていたけれど他はわかりませんでした。
歴史を調べていくとご生母達への扱いが余りにも悪いと感じます。もっと敬意を持ってもいいと思うのですが。