Wikipediaを見ていて気になった事があった。稲葉知通という大名の母が父の正室か継室か不明との事。

というのも知通の父信通は初め織田信良の娘光浄院を娶りその後、彼女の妹天量院を継室に迎えたとある。

知通の母は織田信良の娘としか伝わらず、どちらか分からないらしい。(ちなみに兄、景通の母は光浄院)

となると気になり、調べる事に。

宮内公文書館に稲葉家譜はあったが、別の家系のもので知通らが属する臼杵のは無い・・・。何故だろう?


よく拝見させて頂いている『花筐館』さんのHPにも臼杵稲葉家のものは無い。

ならばと臼杵の「稲葉家譜」を調べる事から始める。
まずはそれぞれの系譜を観ると両方「母 宇多少将織田信良第5女」となっているので同母かな?と思うが念のため光浄院の命日を調べると
寛永18年3月26日(1641年5月5日)。

弟の知通の誕生は承応元年9月19日(1652年10月21日)とWikipediaにあるのでこれで光浄院ではなく妹の天量院が母だと分かった。


稲葉家と言うと勧修寺経逸の母(勧修寺顕道室)が気になっていたので彼女の事も調べる事に。

というのも勧修寺経逸は仁孝天皇の外祖父にあたる。つまり稲葉恒通の娘は仁孝天皇の曾祖母。


稲葉家譜によると(古典の読み方に不安があるので間違っているかも知れない)

恒通の5女、於幾 母は妾

享保4年7月28日(1719年9月12日)生
享和2年3月19日(1802年4月21日)逝去 83歳 法号は貞恭院。

顕道に嫁ぎ4男7女を産む。(これも記録されていた)

長男 敬明 7男 経逸

8女 柳原紀光室(道子)

10女 葉室頼熈室  等

☆顕道には他に側室(家女房)がいたと思われる。