前回に続き稲葉家関係。
やはりWikipediaを観ていて『稲葉久通』の事が気になった。
父は旗本の岡野知英。母は山内容堂(豊信)の娘・・・?!
容堂の娘二人は維新後だが二人とも宮妃(後に離縁)になっている。
それなのにその姉妹が旗本に嫁ぐだろうか?

養母というのは稲葉久通の養父観通の正室が山内豊熙の娘鏸姫なので、彼女の事を指しているのだろう。
容堂は豊熙の弟の養子だから久通と縁続きには違いない。

では久通の母は誰か?
『稲葉家譜』は久通の先々代の幾通迄しかないので仮説だが、『日本人名大辞典』に“久通は雍通の外孫”とあるから雍通の娘と思われる。
そこで雍通の子女を調べると「與茂」という養女が岡野知英に再婚しているとわかった。(初婚は死別)

Wikipediaによると岡野知英の妻は「山崎義徳の三女」らしいが、與茂とはお互い再婚同士なのかもしれない。

この與茂の実父は山高信求という旗本らしい。

しかしこの信求、実は稲葉雍通の実弟(弘通の子)で山高信行の養子になっている。つまり稲葉家の人間だ。

與茂は岡野知英に嫁ぎ3男2女を儲けたとあるのではっきり言い切れないが、そのうちの1人が久通と思われる。


久通が先代観通の妹竹(多計子)と結婚したから稲葉家を継いだというよりは、彼自身稲葉弘通の曾孫だから の方が、理由としては説得力がある氣がする。


ちなみに久通の跡を継いだ順通は正室多計子の子では無く、側室清水多美との子である。

Wikipediaを見ていて気になった事があった。稲葉知通という大名の母が父の正室か継室か不明との事。

というのも知通の父信通は初め織田信良の娘光浄院を娶りその後、彼女の妹天量院を継室に迎えたとある。

知通の母は織田信良の娘としか伝わらず、どちらか分からないらしい。(ちなみに兄、景通の母は光浄院)

となると気になり、調べる事に。

宮内公文書館に稲葉家譜はあったが、別の家系のもので知通らが属する臼杵のは無い・・・。何故だろう?


よく拝見させて頂いている『花筐館』さんのHPにも臼杵稲葉家のものは無い。

ならばと臼杵の「稲葉家譜」を調べる事から始める。
まずはそれぞれの系譜を観ると両方「母 宇多少将織田信良第5女」となっているので同母かな?と思うが念のため光浄院の命日を調べると
寛永18年3月26日(1641年5月5日)。

弟の知通の誕生は承応元年9月19日(1652年10月21日)とあるのでこれで光浄院ではなく妹の天量院が母だと分かった。


稲葉家と言うと勧修寺経逸の母(勧修寺顕道室)が気になっていたので彼女の事も調べる事に。

というのも勧修寺経逸は仁孝天皇の外祖父にあたる。つまり稲葉恒通の娘は仁孝天皇の曾祖母。


稲葉家譜によると(古典の読み方に不安があるので間違っているかも知れない)

恒通の5女、於幾 母は妾

享保4年7月28日(1719年9月12日)生
享和2年3月19日(1802年4月21日)逝去 83歳 法号は貞恭院。

顕道に嫁ぎ4男7女を産む。(これも記録されていた)

長男 敬明 7男 経逸

8女 柳原紀光室(道子)

10女 葉室頼熈室  等

☆顕道には他に側室(家女房)がいたと思われる。