閑院宮直仁親王(光格天皇の祖父)の妃・室について調べていて見つけたものがある。

『四親王家実録257 閑院宮実録3 直仁親王 』(書陵部)に

妃 藤原近衛脩子

室 伊藤きよ
室 高木さち
室 某氏(涼岡院)

とあった。

伊藤きよ(真光院)は閑院宮典仁親王や五十宮倫子達の生母。


高木さちはウィキペディアでは「中野さち」と記されている女性と思われる。

☆私の知るところでは、鷹司輔平の生母は「さち」(長祥院)なのでこの女性だろう。


涼岡院は生母不明の御子達の生母か?


ついでに書くと妃の脩子の生母は久我通名の娘、芳林院らしい。

系図オタクの私にとり、東福寺誌は本当に素晴らしい資料の一つである。
その東福寺誌を調べていて、ネット検索していたら偶々林大樹氏のブログに辿り着いた。

マニアックな内容は私からすると涙目(嬉し泣き)である上にブログの中に『桃公勤仕備忘』という資料の記述があった。


早速調べると江戸時代の一条家の子女やそのご生母を記録している部分があり感涙ものだった。

ウィキペディアに今の所載っていないのをいくつか記すと

一条兼香の子女
 醍醐兼純    生母 栄秀院
 徳川宗将室重子  生母 栄秀院

一条道香の子女
 久我信通室貞子 生母 香蓮院

一条輝良の子女
 西園寺実韶   生母 袖崎
 貞敬親王妃輝子 生母 永昌院

一条実通(忠良の嫡子)の生母 槙



いつも思うのだが、これらの家女房の女性達も確かにひとりの女性として生きていたのだから、その功績はちゃんと記したい。