数年前に、ある接骨院の院長の紹介で、
I 先生という方の元で整体の技術を学ぶ幸運を得る機会がありました。
I 先生は、身体の腺は細く、過去の何かの後遺症なのか、歩くのもままならない感じの方で、当時70歳位。
I 先生を紹介してくださった接骨院の院長は、そこいらの接骨院の技術とは比べようのない位の、
圧倒的な治療効果を出す技術を持っていた方で、 その院長(Nさん)が、
「僕が追いつこうと目指している恩師。 でも、その山はとてつもなく高い」 と称していたのが そのI 先生です。
I 先生は,当時 自宅の一室で治療を行っていて、一日に予約を受ける人数は7人未満。
治療時間は 驚くことに 一人 5分~10分。
なぜ、そんな短い時間で治療ができるかというと、無駄なアプローチを一切省き、原因の箇所にダイレクトに
シンプルにアプローチしているからです。
・・・・質のいい仕事とは、小さな力で大きな成果を生み出すことだ・・・・
数年後にピーター・ドラッカーの本を読んだときに、その I 先生の患者さんに対するアプローチを
思い出し、浮かんだ言葉です。
まさに、I 先生は、施術という世界において、圧倒的に質の高い仕事をされる方。
初めて、お会いさせて頂いたときに、「私の掌をさわってごらんなさい」 と言われ、
そうさせていただくと、 すごく柔らかいのです。 そのままその感想を伝えると、
I 先生は、「そう、施術をするときは、決して力をいれてはいけないよ。」
その I 先生の手の柔らかさから、力だけで押し込まないタッチの柔らかさが想像できます。
ただ、力の入れる方向には、非常に厳しく というか、ある意味それがすべてでなかろうかという位。
正しい場所と正しい方向に、アプローチすることを要求されます。
そのポイントの正確さが、まさに、無駄なアプローチをそぎ落とし
非常に短い時間での施術と、著しい結果をもたらしていたのだと感じます。
I 先生は、午前の診療が終わると、おかずとワンカップのお酒をのみ、それから1時間位のお昼寝をされます。
そして、午後の予約の診療を、午前同様をテレビを見ながら行います。
はじめみたときは、テレビを見ながらどうやって集中して治療できるのだろうか不思議に思ったのですが、
今思えば、患者さんがリラックスした空気をつくるためにされていたのかなと・・・
その件は、結局質問できずじまいでした。
いろいろと質問することももちろんできるのですが、
しゃべるという行為も、I 先生の 身体に負担がかかるように見えたので、なるべく無駄な質問にならないよう
質問を選び、タイミングを図って、教えていただきました。
それ以外は、沈黙を楽しみというか、その沈黙の中で 感じることがありました。
患者さんの治療中も、そして治療されていない合間の時間も、I先生がいる空間に流れている
とても心地よい空気があります。
そのとき、はっと気づいたことは、
I 先生の技術をささえているのは、実は 人に対する深い愛情だと。
おそらく年齢的なものもあり、その世代の方が持つ独特の空気感と I 先生の人に対するスタンス
が交じり合ったもの。 そうした中で、
言葉だけでは語れない 大切なことを学ばせていただいたと思っています。
そして、あぁ、こういう方たちと触れ合う機会を、生活の中に持てることと、そうでないことの差は大きいと
すごく感じたのを覚えています。
戦前を知っている時代の方たちが持っているものを受け継いでいくことも、本当に大切だと感じます。
私自身は、身体の施術の向こう側にあるものに関わっていこうと決断し、
今は施術はほとんどしていませんが
I 先生から学んだことは、 今の私の人生を支える大切な要素のひとつとなっています。
私のとって、カンフォートゾーンである施術の世界から抜け出すには、相当の心の葛藤がありましたが、
今は、自分が本当になし得たいことに、フォーカスをあて 全力でそこに向かうだけだと思っています。
正しい場所に、正しい方向で
そして、その精度を高めるには、チャレンジの数と学習。
相対性理論の一部を ある解釈でとらえると 宇宙は基本は なまけものという見方。
ある地点から、ある地点に向かう際に、一番楽な道を基本とするそうです。
一番最距離をゆっくりを通るのが等速直線運動(測地腺)。 楽そうでしょ。
そして、それ以外のすべての道(ルート)は、加速度運動といいます。
つまり、測地腺(等速直線運動)以外の腺は、必ず測地腺より距離が長く、時間が短くなる。
図に描くと わかりやすいです。
ちょっと、ややこしいですが、 青字の部分をふと思えば
早く進む道 = 沢山経験する道 という感じがすごくします。
アインシュタインさん、勝手な意訳許してね o(^-^)o
そうアインシュタインさんは、日本をとても愛していたそうです。
私自身、日本人は、原住民族のもつスピリットと そして現代にも通じる文化と
自然と真の意味で融合する特異な民族だと感じています。
特に明治時代の人の写真とかを見ると、 目の奥にあるものが原住民族のそれと、すごく相通じるのを感じます。
それでいて、現在(未来含めて)の社会と融合する力も持っている。 ほんと凄いと思います。
だからこそ、原点となる 戦前を知る方たちとう触れる機会を持つことも大切だなと感じます。