この追憶を書き始めた理由は、

実体験を通して何か貢献できることは無いかと考えたからです。

真実味の無い言葉に説得力は無い気がしたからなのですが、



私もかつては、空しい、無関心、無気力な人間でした、

この頃三無主義などと言われていましたが、

その一人でした。



後悔することばかりで、

出来れば一人でも多くの人に空しい生き方を

して欲しくないそう願っています。



ここまでの段階でも多くの間違いを犯していますが、

人が苦しむにはそれなりの訳が有ると思っています。



社会的な背景であったり、

家庭の事情であったり、

様々な理由が有る筈です、



私の体験など単なる一部に過ぎないことは承知しています。

そうなんです、ほんの一部の体験なんです、

世の中には、もっともっと悲惨な思いを抱え強く生きている方がおられます。



ときどき目にする、カンボジヤの地雷を踏んだ子供たち、

あの子たちの笑顔が焼きついて離れません、



一部の大人たちの都合の結果ではないかと感じます。

子どもたちがそんな大人になっていくことは悲しいし、

大人たちが横目で他人事のような顔をするのも悲しい、



戦争も、政治の腐敗もそうさせた我々に責任が有るのではないでしょうか、



年金問題がいい例です、

直接関係することでは、しっかり発言しています。



この事は今一番必要とされている行動だと思います。



何かをしろと言う事ではなく、

少なくとも、物事を他人任せにしてはいけないのではないかと、

知る努力をしなければいけないのではないかなどと考えています。



もっともこんな考え方をすることも

自分本位の考え方なのかも知れないとも思います。

追試を終えて課題提出を条件に卒業を約束された私は

仲間の励ましでなんとか殆どの教科の提出を済ませたのだが、


現代国語と、古文だけが、卒業式まで残った。


いよいよ卒業式の日、全員式場に向かう中、

私だけは職員室にいた、

課題の提出のためである、


職員室では二人の先生が待ち受けていた。

課題の内容は、

教科書の最後のほうにある解説を読み、

大事なところに赤線を引いて来いというものだった、


現代国語は確認を終えるとすんなり開放されたが、

古文の方は、そうは行かなかった。


どれだけ解っているか質問されることになり、

正直これには、私も動揺してしまったのだが、


このやり取りは今でも笑えるものだった、

古文の先生が質問すると、

現国の先生が後ろで、ジェスチャーで教えてくれていたのだ、


二人の先生は私から見ると縦に並んで座っていたので、

後ろを向かない限り古文の先生には気付かれなかったのだが、


最後の質問で戸惑って、

声を上げてしまってばれてしまったのだ、

二人の先生は大笑い、

私はどちらかと言うと照れ笑い、


この時の質問は平家物語の作者は誰か

と言う問題だった、


開放され教室に戻ると、

すでに皆戻っており、

私は卒業式の会場には行かずじまいであった。


しかし、私は誰も体験できない、

貴重な卒業式を二人の先生に頂いた気がする。

昨日は久しぶりに家族で出かけました




運動会で筋肉痛も納まらない中、




夜中に海を見たいと言うことで




なんと釣りに出かけたと言うわけです。




そういうわけで、昨日は、没してました、




ので、ブログお休みしてしまいました。




ゴ、メ、ン




久しぶりに海を見て、考え事をしてたのですが、




何も残らず、結局ボーと過ごしたのが本当のところで、

そんな状態で本日復活。

(≡^∇^≡)い、た、し、ま、し、た。